▼小平神明宮の御朱印です。(東京都小平市小川町1-2573)バランスの良い御朱印に鮮やかにあしらわれている花は「桔梗」でしょう。
▼御朱印は4種類の通常御朱印と、大祭限定のものが案内されていました。
▼拝殿前の参道途中左手にに授与所があります。
実は御朱印をいただいた時、本ブログの一人前の方が御朱印を受け取りながら授与所内に話しかけられました。
参拝妙齢女性「いつもきれいな御朱印で どなたが描いていらっしゃるのですか?」
授与所内には宮司さんらしき男性が筆を取り、もう一人は若い女性が御朱印の受け渡しをしていました。
受付女性、笑顔で「私と宮司さんの合作なんですよ!」
朱印帳に向かって筆を運びながら、そんなやりとりを聞いていた男性宮司は、
少しイラつき気味の口調で、
「そういう面ばかりを話題にして広めるのではなく、もっとしっかり御朱印の意味を重視するようにしてください」
この表現は男性宮司の言葉通りではないですが、要約するとそんな意味の言葉。
そう諭された妙齢女性はタジタジと困惑し、
「いえ、決してそんなつもりではなく、SNSなどにもする意図もありません。どうもすみません!ありがとうございました」
具体的にはもう少し細かい会話があったと思います。
男性宮司と妙齢女性のやりとりを耳にし、受付女性も言葉が出ませんでした。
この会話は、どこで狂ってしまったのでしょう。
本ブログが聞いていて、
妙齢女性は綺麗な御朱印を気に入り、その書き手を褒めたかっただけのように感じましたが、宮司さんには誤解されました。
妙齢女性がを少し気の毒に感じました。
「いつもきれいな・・・」と口にしているのですから、度々参拝に訪れているはず。
きっと一挙に後味の悪い、そしてこの神社の参拝から少し足が遠のいてしまうのではないかと、他人事ながら気にかかりました。
誰も悪くはないのですが、この場合は宮司さんのご機嫌が悪かったかもしれません。
神社の場合の御朱印は「参拝記念」以上に大きな意味があるようにも思えません。
また小平神明宮の御朱印が以前のものよりカラフルになっているのは事実です。
そこには御朱印コレクターへの思いやりもあるでしょうが、そればかりでもないはず。
カラフルで綺麗に感じた御朱印に対して「どなたがお描きになっているのですか?」という問いかけは、ごく自然な言葉として不思議はありません。
しかし、このシーンはなんとも残念な会話で終わってしまいました。
一つの言葉、一つの会話だけで話が弾み、より理解と共有できるものを見つけられる場合と、
まったく思いもよらぬ方向に走ってしまう場合があります。
「タイミング」とか「縁」というものも、その方向を左右させるものかもしれません。
下手に綺麗な御朱印を褒めることも出来ないような世の中でしょうか?
いや! やはり綺麗なものは「キレイ!」と言いましょう!!
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▼小平神明宮の最寄駅は少し遠く西武線「東大和市駅」から徒歩15分以上あります。
もちろん各駅からバスは出ています。
神社に対面している「小川寺前」がバス停名です。
▼神社前は青梅や奥多摩まで続く「青梅街道」が通っています。
▼「小平」という名称は、1656年、村の名主小川九郎兵衛の開拓したこの地の特徴である平坦な地形をあわせて「小平」とされたそうです。
また、小川九郎兵衛の姓が使用され「小川町」となったのでしょう。
「小平市」と言っても、そんな市が東京にあったのかと思われるほど知名度の低い自治体かもしれませんが、
「武蔵美」があり、他にも「嘉悦」などを含め6つの大学がある学園都市です。
そして、まだまだ耕作地が残る東京の典型的な郊外です。
▼「青梅街道」と平行して神社の前は「小川用水」という水路が流れています。
江戸時代初期までは「逃げ水の里」と呼ばれ、水利に乏しく生活に不向きな土地が、開拓事業によって通された水路の名残でしょうか。
▼鳥居をくぐるとすぐ左手に「戦捷記念碑」。
▼そして各地の神社でもよく見かける「砲弾」です。
明治期の日露戦争のあとに、陸軍が「戦利兵器奉納ノ記」という文書とともに20,000以上の神社などに「砲弾」が配付されたそうです。
▼深い森がトンネルを作った参道が一直線に延びています。
地元の人々には「しんめいさま」と親しまれている鎮守の景色です。
▼途中左手に見えるのは「お休み処」かと思いきや「写真館」でした。
暖簾がかけられた写真館も乙なものですが、やはり「団子とお茶」を注文したくなるような佇まいです。
▼狛犬のそばに「ウシさん」です。
相殿として「天満宮」があり道真も祀られています。
▼「ハイッ、その通りです。」
▼「手水舎」は龍などの彫刻に覆われています。ということは古い建物でしょう。
▼コロナ後、龍の吐水口はゴムホースを咥えさせられている姿をよく見ます。
早く本来の姿に戻りたいのは龍も人も同じでしょう。
▼「井戸神様」らしいです。
▼額は「御井神 水波能売神」となっています。
水が乏しかったこの地の開拓と関係があるのかもしれません。
▼授与所前の狛犬は笑ってます。そのように見えるだけ?
▼拝殿は江戸時代後期の建立から改修が加えられています。
▼本殿は覆屋で保護されているので様子は分かりません。
▼社殿の左手に建つのは「西殿」と呼ばれています。
▼白山、秋葉、熊野、稲荷神社が並んでいました。
▼社殿の右手は「東殿」です。
▼こちらは八幡、八雲、春日神社の3社でした。
▼「神輿庫」です。
▼社殿前に「神饌田」が造られていました。収穫も遠くない日でしょう。
▼社殿前のコケシのような像は「童心神通」と書かれています。童心は神に通じる?
▼こちらは西洋風の「童心神通」かもしれません。
グリーンの深い社叢に覆われ、幼稚園も隣接する神社は、
とても和やかな雰囲気で、こんな神社が近くにある地元の人たちを羨ましくも感じた、とても良い神社でした。
しかし、そんなイメージも御朱印の授受の瞬間だけで崩壊してしまう時もあります。
もちろん、その逆もありで、御朱印の授受だけでイメージ良く感じる場合もありです。