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御朱印迷宮

関東を中心とした寺社の御朱印記録です。参拝・収集目的に少しでも役立てば幸いです。

本郷氷川神社の御朱印(東京・中野区)〜オッパイを貪る子獅子と笑う親獅子

本郷氷川神社御朱印

ほんごう ひかわ じんじゃ主祭神素盞鳴尊(東京都中野区本町4-10-3)

 

本郷氷川神御朱印です。

御朱印は境内右手の社務所でいただきました。

玄関横に「季節の御朱印 300円」の案内が出ていました。

 

▼書置きでしたが、しっかりした大礼紙にきちんと墨書き捺印され、クリアファイルに入れて渡されました。300円では気の毒に思える御朱印でした。


▼神社は丸の内線の分岐線「中野新橋駅」から北に250mほどの位置に鎮座します。

▼車で路地のような細い通りに入って境内の西に回ると「月極駐車場」がありました。

参拝者用の駐車場ではなさそうですが、スペースがあったので駐めさせていただきました。もちろん短時間の参拝駐車である旨、断りの一言をお伝えしました。

 

▼この時期、どこの寺社も落ち葉の片付けが大変です。

宮司さんらしき男性が落ち葉の片付作業をしていらっしゃいました。

それほど広い境内でもない神社ですが、落ち葉は掃いても掃いても際限なく湧き出てくるような状態です。

 

▼社号標はフェンスの内側の高い位置にあり、植栽と光に邪魔され良く読めません。

当社の鎮座地住所は「中野区本町」です。

中野区に「本郷」という町名は覚えがありませんが、当社は「本郷氷川神社」です。

昭和初期に中野区成立と同時にいくつか消えた村があり、ここ「本郷村」もその一つ。市制町村制施行前の旧村名を冠しているのは、ほかに小学校や医療機関など極く僅か。

当社も村名から町名へ移行した歴史を知らしめてくれるかのように旧村名の「本郷」の文字を用いています。

▼社殿前の狛犬は古そうです。裏に回ると台座に「天保四年」の文字がありました。

天保四年」は1883年、江戸時代末期です。狛犬は左右とも子獅子を従えています。

片や子獅子を抑え、もう一方の子獅子は珍しくもオッパイをせがんでいるような微笑ましい姿をしています。

▼思いっきり笑っているようにも見えます。

当社の創建は戦国時代の1394年、江戸城鎮護のため太田道灌が大宮の一宮 氷川神社より勧請したのが始まりと伝わります。

東京では太田道灌にちなむ神社は少なくはありません。

将門や頼朝と同様に関東で活躍した武将ですので、彼らに関わる言い伝えは無数に残っていると言っても間違いないでしょう。

▼戦火で失われた社殿は、戦後間も無くの昭和に再建されています。

▼やはり木造の社殿は何とも言えない趣があります。格子状の引戸が昭和です。

▼本殿の様子です。ここも昭和臭がします。

▼社殿からオープンな渡り廊下が設けられ・・・

▼神楽殿へ続き、その先の社務所まで続いています。

▼やはり、昭和ならではの造りのように思われます。

境内社は鳥居をくぐった左手に集合されています。

▼向かって一番右に鎮座するのは「御嶽神社」。

▼真ん中の朱色の鳥居は稲荷社です。

▼神狐たちがカメラを構えた侵入者を警戒しています。

▼風化による傷みが激しい狐は、眼も見えず途方に暮れているのでしょうか?

▼一番左側にも稲荷社です。

▼右隣の稲荷社と比較して、こちらは大きな社殿で構えています。

2つの稲荷社の社殿は、その大小を除けば形容は酷似しています。

狐たちも同時代に建立されたものかもしれません。

▼この狐はおとなしく従順スタイル?

▼こちらは「鍵」を咥えないで、足元で押さえつけています。珍しい?

おもしろくトボけた表情に見える姿は威嚇になっていません。

 

 

本郷村の鎮守だった当社は、境内に当時の雰囲気を感じさせられる姿も残していて、

さらに、たっぷりと昭和をも感じさせられる社殿と、狛犬の姿、稲荷社の神狐たちの表情が印象的な神社でした。

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