諏訪大神社の御朱印
「すわだいじんじゃ」主祭神:健御名方命、事代主命(神奈川県横須賀市緑が丘34)
▼諏訪大神社の御朱印です。気さくで丁寧な宮司さんに記帳いただきました。
長野の諏訪大社でいただく御朱印に神紋の「梶の葉」はありませんが、
全国多くの諏訪神社でいただく御朱印には「梶の葉」のスタンプが押されています。
その神紋のデザインは複数ありますが、大方は朱色の「梶の葉」が押されています。
横須賀の「諏訪大神社」ではブラックの「梶の葉」で、妙に力強さがあります。
▼御朱印は社殿に上がる石段途中の宮司さん宅でいただきました。
2階の窓からこちらの様子を知ったのか、声をかける前から
なにやら待ってましたとばかりに、嬉々とした表情で対応いただき、ちょっと目食らった感じでした。
きれいな庭先で宮司さんとの短時間の立ち話の中で、
長野の「上社」「下社」の二社からそれぞれの祭神を勧請しているので
「だいじんじゃ」と呼ぶのかもしれません、とのことでしたが、少し?かも。
「大神社」だからと言って必ずしも物理的な大きさを示すものではないのですが、
「諏訪大神社」の場合は、
「すわのおおかみのやしろ」と読んだ方がピンとくるような気がします。
境内の案内のひとつには「すわおおかみしゃ」とありました。
話し好きそうな宮司さんは、本ブログが車で立ち去るまで見送っていただきました。
宮司さんに見送られる! 少し照れくさいのですが、
大変ありがとうございました。
▼神社へは京急線「横須賀中央駅」「汐入駅」の2駅とも徒歩10分以内でしょう。
「横須賀中央駅」の近く若松町にも「諏訪神社」がありますが、そちらではありません。
当ブログも過去に若松町の「諏訪神社」を参拝したことがありますが、社務所は留守で御朱印はいただけずにいます。
▼その時は「ドブ板通り」とはひと違う若松町の素晴らしい「名所?」を見て回り
時間を潰して、再度社務所に戻りましたが、やはり社務所はお留守のままでした。
「諏訪大神社」の宮司さんによれば「あそこは書置き」の一言でした。
いずれ、そちらにも再挑戦、再訪問、再参拝してみましょう。
▼その「諏訪神社」から直線距離500mにある「諏訪大神社」です。
高層のホテルのせいで「諏訪大神社」と書かれたアーチ門も霞んでしまいます。
アーチ門と書きましたが、こういう門の正式な名称は知りません。
レトロな飲屋街の入口や、路地裏商店街の入口などでも見かけます。
▼そのアーチから坂道を登ってくると右手に鳥居が建ちます。
車ですと鳥居前を過ぎて、すぐの細い坂道を右折すると境内に案内されます。
▼鳥居前の石壁に古いカンバン。
コレ、今も有効なのでしょうか? だとしたら米兵さんも首をかしげるかも?
外人さんは日本の寺社が大好きなはずですから・・・。
でもこれは「どぶ板通り」に近いことから、米側が自ら掲げた看板だそうです。
▼そんなんことはどうでも良いと言わんばかりにトボけた表情の狛犬。
▼こちらも優しい顔です。
▼鳥居の階段を上ったところが駐車場で宮司さん宅がある階です。
さらに社殿のある階への石段を上がります。
▼一番上から見た途中の境内。ここに車を駐めました。8mほど高低差があります。
神奈川県神社庁からの引用です。
三浦氏と関係の深い当地ですが、三浦氏の滅亡後も神社は維持管理され続けてきたのでしょう。
▼しっかり水が出ているので清めて・・・
▼参拝です。
▼宮司さんの人柄が表れているような言葉「お越し下さい」の文字です。
▼本殿の右となりは境内社のようです。
▼狛犬が狐と一緒に並んでいますので相殿に稲荷社もあるのでしょう。
▼イタズラ小僧的な顔つきの狛犬は「王者」に感じます。
▼案内が見つからないので稲荷社の他は分かりません。
▼社殿左側にもポツンと鎮座する境内社もやはり正体不明、いや詳細不明。
▼周囲をコケに覆われた孤高の境内社です。
▼井戸らしきものはしっかり蓋されています。
▼「大震災避難記念碑」。
関東大震災の普通なら「復興記念碑」ですが「避難記念碑」でした。
▼淀んだ水を讃える神池のようなものもあり。
境内が高台にある「諏訪大神社」ですので、敬遠されがちかもしれませんが、
かつては「どぶ板通り」で酩酊した横須賀基地の米兵さんも迷い込み、ハシャいだかもしれぬ「OFF LIMITS」神社の現在は、
宮司さんの楽しい人柄を含め「ON LIMITS」スペースです。