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▼高瀧神社は小湊鉄道「高滝駅」から徒歩約6、7分。高滝湖畔にある神社です。
▼神社の鎮座地である市原市はこんな形で房総半島にクサビを打ち込んでいます。
前にも記事にしているかもしれませんが、東京湾岸沿いから房総半島の内陸部に相当移動したと思っても、まだまだ市原市内です。
高瀧神社はその房総半島のど真ん中「ヘソ」部分にある高滝湖の湖畔に鎮座します。
▼湖といっても養老川をせき止めた高滝ダムのある人造湖です。
▼たとえ人造湖でも都心を離れなければこんな風景はお目にかかれません。
訪問者は皆、神社へ来たことを忘れて、しばし湖を眺めてしまうでしょう。
▼社殿は石段の先の高台に建ちます。
▼石段下の遠方に湖があるはずですが、写真では白くブッ飛んでしまいました。
神社の創建は不詳ですが、「日本三代実録」という9世紀の書物に記載されている古社だそうです。
とはいえこの神社に頼朝伝説はありません。
安房国に上陸した頼朝は房総の武将の加勢を得て上総、下総へと北上して再び力を蓄えていきました。
その過程で祈願したと伝わる神社が数多くあるのですが、それも房総半島の中央部分から外房部分にある寺社には伝説は少ないと思っていましたが、鴨川市の「仁右衛門島」には「頼朝の隠れ穴」の言い伝えがあります。
頼朝は当初は千葉外房の大原に城を持つ上総介広常を頼ったそうですので、外房にも伝説が残っていておかしくなく、房総半島全域に頼朝伝説があるのでしょう。
高滝神社は平安時代末ごろ、京都の上賀茂社、下鴨社から分霊を勧請したということから「賀茂明神」とも呼ばれていたそうです。
古くから安産・子育ての神社として知られ、「底なし袋」という信仰があるとか。
高台にある社殿ですが、それほど高い位置にあるわけではないので息を切らさずに社殿にたどり着けます。
拝殿の朱塗りは当初からの色合いなのか、褪せた色なのか分かりませんが、主張しすぎずに周囲と調和しているように思います。
▼ボケてしまいましたが、龍などの彫刻が見事です。
▼参拝者は他に見当たりませんので、思いっきりガラッガランと鳴らしてみます。
▼末社は一棟に集合しています。数えてみると10社でした。
静かでした。車の音とも、人声も、蝉の鳴き声もない晩夏の境内は、神たちも午睡をしているのかもしれません。
▼ガラス扉のがついた「底なし袋」掛けです。底が抜けた布袋「底なし袋」は、妊婦さんが一つ持ち帰って腹帯に巻き、無事に出産できたら今度は自分で新しい「底なし袋」を作って返納するそうです。
底のない袋ですので子宮から「スーッ」と抜ける安産をイメージしているのでしょう。
▼湖面と空も「スーッ」と抜けるような青さです。
▼東京に戻る途中、神社からすぐの道沿いに「木造地蔵菩薩坐像」の案内板があったので寄ってみました。
寺院ではなさそうでしたが、モダンな造りのお堂の中に大きな地蔵菩薩。
制作年は鎌倉時代から南北朝時代、2.73mの木造地蔵坐像としては日本最大との説明板がありました。
元は寺院の本尊だったようですが、お堂だけで、寺はどうしちゃったんでしょう?