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御朱印迷宮

関東を中心とした寺社の御朱印記録です。参拝・収集目的に少しでも役立てば幸いです。

銀杏岡八幡神社の御朱印(東京・台東区)〜八幡さんはどこも 八幡太郎伝承なのか?

銀杏岡八幡神社御朱印です。(東京都台東区浅草橋1-29-11)f:id:wave0131:20201201195928j:plain

対応いただいた女性と少し言葉を交わす中、2012年の訪問時と同じ女性と感じましたが、御朱印二体の筆使いは異なります。

そう言えば、2012年は社務所の玄関先で対応いただき、朱印帳は見えない奥に運ばれました。女性の揮毫ではなかったかもしれません。

 

2020年は授与所その場で揮毫いただきました。

きっと、女性はやはり8年前と同一人物だったのでしょう。

 

銀杏岡八幡神社 2020年の御朱印f:id:wave0131:20201201195933j:plain京急キャンペーンの「夏詣」13社のうち、浅草神社に次いで2番目のスタンプが押されていました。

 

銀杏岡八幡神社 2012年の御朱印f:id:wave0131:20201201195923j:plain

▼はさみ紙も京急キャンペーン専用に作られたようです。

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御朱印はこの真新しい授与所でいただきました。

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2012年訪問時の御朱印社務所でいただいたように記憶します。

おしゃれな造りの授与所は2020年7月に完成の出来立てでした。

それほど大きくない神社ですが、こんな明るい授与所ができると

神社のイメージは一気に良好位置に上昇します。

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いちょうがおか神社へは「浅草橋駅」から徒歩3、4分。

▼「江戸通り」から浅草方面を向いています。

f:id:wave0131:20201201200018j:plain前方、ガード下が駅、その左先奥が神社です。

浅草橋」は子供や孫に節句の人形を買おうとする人以外、用のない街です。

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かつては江戸通り沿いに、小売店用に販促品やディスプレー用品を卸す店舗が多くありましたが、現在はその数は少なくなっています。

大通りの東側は「久月」など人形店が数多く見られます。

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反対側、神社がある大通り西側は飲食店が目立ちます。

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▼「人形の久月」を背にして横道に入ると・・

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▼神社の鳥居が見えます。

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▼「江戸通り」と並行する神社前の細い道はゴチャゴチャと小さい店舗が並びます。

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▼左右に首をまわすと、やはり飲食店が多いようです。

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▼そんな裏通りに銀杏岡八幡神社の杜の木が顔をのぞかせています。

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「浅草橋」は目的がなければ用のない街と書きましたが、

御朱印が目的の場合は「浅草橋駅」周辺を起点に、

初音森神社銀杏岡八幡神社須賀神社榊神社鳥越神社蔵前神社

というように短時間で効率の良い神社巡りができる街でもあります。

 

▼神社唯一の鳥居から石畳の参道が伸びています。

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神社に専用の HP は見つかりませんが、FBがありました。引用です。

古くからの伝えでは約1000年前に源頼義・義家親子が植えた銀杏(いちょう)の木の元に、八幡様の神様をお祀りしたのが当社の始まり。

 

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またしても「八幡太郎 義家」の登場です。

千葉の房総半島の神社には「義家」から四代下って「頼朝」の名が数多く出てきます。

石橋山の戦い」で破れ、安房国に逃れた後、

房総で勢力を蓄え態勢を整え直した頼朝ですので、彼にちなむ伝承が多いのも当たり前かもしれません。

 

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しかし、広く関東全般には「義家」の名を残す神社が多くなります。

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義家」の名を残す神社が多いばかりか、義家は奥州征伐行軍の往路帰路の先々で、

まるで「のべつくまなく」状態に

小さな古い祠や、神々が宿りそうな地に戦勝祈願と、勝利報恩の祈りを捧げ、八幡神を勧請しているようです。

 

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奥州で勝利した帰路は、行きに戦勝祈願した場所や村々を再度訪れ、

幾らかの金銭や褒美を与え落とし、八幡神を崇めるように諭したそうです。

それらは東国に源氏勢力を根付かせる、基盤固めの為でもあったようです。

いわゆる東国の懐柔策でもあったわけです。

 

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ということで、義家と銀杏に纏わる伝承の残る神社ですが、

当時は「岡」の文字がない「銀杏八幡宮」と呼ばれ、

言い伝えの銀杏の大木は、惜しくも江戸時代に焼失してしまったそうです。

 

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とは言え境内には銀杏の木が青々と茂っています。

秋から冬になれば見事に黄金色になること間違いありません。

 

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▼こちらは境内北側にある参道。

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▼社殿は参道の正面ではなく横を向いていて、狭い境内に窮屈なイメージ。f:id:wave0131:20201201200203j:plain

それでもコンクリート造りながら白とブルーの社殿は清潔さと高潔さを感じます。

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▼社殿右手前に唯一の境内社此葉稲荷神社」も少し窮屈。

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窮屈ではあるものの、都心の駅近くに杜と社殿を残し続けているのはアッパレ。

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源義家が戦勝祈願、神徳に報恩してから1000年、

現代の「戦勝祈願」は、受験や恋愛などとの戦いとなっているようです。

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