▼今井神社の御朱印です。(千葉県千葉市中央区今井1-24-14)
御朱印はプリントのイラストに墨書きされ、神社印を捺印されたものでした。
右の小さな神社印は捺印なのか、プリントなのか判断つきませんでした。
日付は入っていませんでしたので、DIYしました。
正直、個人的には御朱印許容範疇から逸脱していますが、3Gの御朱印と理解した場合は及第です。
今井神社の御朱印をgoogっても 平成の日付は検索結果に出てきません。
令和に入ってから御朱印を授与するようになったのでしょう。
地域の小さな神社もマダマダ、ドンドン御朱印授与の方向にあります。
ウカウカしていられません。
▼書置き御朱印は社殿右手の社務所横、カラーボックス内の木箱に入っています。
木箱の中には数種類の書置き御朱印が、おそらく切れることは無さそうに思われるくらいの量が入っていました。
テキトーに1枚手にとったものが「金魚を覗き込むネコ」のイラストでしたが、なかなかユニークで、質も高く、個人的には非常に好ましく感じました。
案内によると毎月1日、15日には直書きいただけるようですが、
贅沢言えば書置きも「年・月」だけでも入れておいていただけるとウレイシーですね。
▼ハイッ! 500円は社殿のここに入れましょう。
500円硬貨は、そ〜〜〜っと落としたものの、
つい、本来の「お賽銭」を入れ忘れてしまいました。
機会を見て1日か15日に再訪して、お賽銭もフンパツしましょう。
実は訪問時には社務所で、何かの会合が数人で行われていました。
もしかしたら宮司さんもいらっしゃって直書きいただけるかも、とも思いましたが、
「1日、15日のみ」の案内があることだし、御朱印ごときで会合を邪魔しては、
と声かけは遠慮しました。
--------------------------------------------------------------------------------------
▼神社はJR「蘇我駅」の西口前に鎮座します。
▼東京方面から外房線・内房線ですと「千葉駅」→「本千葉駅」→「蘇我駅」です。
「ジェフユナイテッド千葉」が応援されています。
▼駅から西の東京湾岸沿いの海側にジェフのホームグラウンド「フクダ電子アリーナ(写真も)」があります。
しかし、ここ10年ほどの「ジェフユナイテッド千葉」は、J2に甘んじており、その成績も不本意な結果に終わっているようです。
スローガンの「Win by All !」は千葉TVの応援番組名とは言え、今は大きな声で言えなかもしれません。
神社は蘇我駅前ですが、蘇我駅周りには繁華街も商店街もありません。
蘇我駅はカンペキに地方駅の姿です。
しかし、アリオ、ホームズ、ユニクロ、K's、ヤマダ、くら寿司などは、海沿いの国道357号に全部揃っています。
▼ですので駅前神社の隣は、ハトもオジさんも憩える広い公園アリ、高い建物ナシ。
神社の創建年代は不詳ですが、江戸時代初期には既に存在していて、明治期に現在の社名になったそうです。
鎮座地の地名も「今井」ですが、神社より地名が先におこったようです。
そして、房総半島の内房に鎮座する神社には頼朝伝説が多く残りますが、
今井神社に頼朝の言い伝えはありません。
今井神社に頼朝伝説はありませんが、
駅名と地名になっている「蘇我」はおもしろい伝説があります。
そもそも「蘇我」という地名は全国でここだけでしょう。
「蘇我」の地名に由来するヤマトタケルの東征の折の伝説は古事記に始まります。
相模から上総に渡る際、走水の海(横須賀市)の神が波を起こして倭建命の船は進退窮まった。そこで、后の弟橘比売が自ら命に替わって入水すると、波は自ずから凪いで、一行は無事に上総国に渡る事ができた。
弟橘比売は、倭健命の思い出を胸に、幾重もの畳を波の上に引いて海に入るのである。七日後、比売の櫛が対岸に流れ着いたので、御陵を造って、櫛を収めた。
古事記では
御陵を造って、櫛を収めた。
と言うことになっていますが、蘇我には別な言い伝えがあります。
ヤマトタケルの渡海を成し遂げさせるため、入水した妃 オトタチバナヒメは、
この地域の海岸に漂着。
そして彼女は「われよみがえり!」と言いつつ息を吹き返したそうです。
「我蘇り!」から「蘇我」の地名なのです。
素晴らしいフィクションです。
J2で低迷しているサッカーチムに贈りたい言葉です「われよみがえり!」
さて、神社は社務所で会合が催されているとは言え、全くの静けさが支配しています。
子どもが這い上がってくるのをジッと待つ親獅子も時間が止まっています。
▼この扁額の形!どこかで見た覚えがあります。
向かって左上辺が欠けたのではなく当初からこの形だったはずです。きっと!
かつての記事でこの形の説明をしたように思いますが、
あちらこちらから得たツケヤキバの知識は霧のように散っています。
▼稲荷社は「豊年稲荷」の額がありました。
「五穀豊穣」より、もっと広く易しい言葉「豊年」のほうが庶民には分かりやすかったかもしれません。
それにしても、ここのキツネたちは何て「オチャメ」でしょう!
参拝するニンゲンどもを拒否もせず、媚びを伴う歓迎でもない目で見つめられました。
▼社殿右隣に境内社がまとめられています。
歴史はあるものの、情報量の少ない神社は、そこに秘めるものは大きく感じるはずですが、今井神社の鎮座地は山側ではなく海沿いです。
緑深い社叢を背負う山中から山麓に鎮座する神社と、
海側にあり、白い土が境内に広がる開放感と明るさを持った神社では、
決定的な違いを感じます。
神社をとりまく環境はそれぞれで、全く同じものは一つもありません。
全国に8万社あると言われる神社の数です。
まだまだ未知な域を思い知らされた神社でした。