▼静岡浅間神社の御朱印です。(静岡県静岡市葵区宮ヶ崎町102-1)
▼静岡浅間神社の御朱印。「静岡浅間神社(しずおかせんげんじんじゃ)」は総称で正式名称、
登記上の法人名は「神部神社・淺間神社・大歳御祖神社」だそうです。
御朱印中央の朱印も「神部淺間大歳御祖神社之印」となっています。
それぞれの読みは
「かんべじんじゃ」「あさまじんじゃ」「おおとしみおやじんじゃ」です。
2021年現在は8種類の御朱印がいただけるようです。
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▼【静岡市】です。
静岡市がこんなに北に喰い込んでいて、山梨県や長野県と接しているとは知りませんでした。
そもそも静岡市に大きな興味はなく、東海道の海辺の市という漠然とした知識でした。
葵区、駿河区、清水区の3区を持つ政令指定都市ですが、
全国に20ある指定年の内、人口は最も少なく約68万人だそうです。
ピーク時は74万人ほどだったそうですから、ここでも人口減少が激しいようです。
静岡市の街中ではありますが静岡の地名発祥の地でもある「賤機山(しずはたやま)」という低山の麓に鎮座します。
訪問時、多くの事前知識を持たず「どうせ静岡市の神社」などと軽い気持ちで訪問したら、まったく想像と違っていて驚きました。
神社の規模も大きければ、高さ25mの「大拝殿」はじめ、いずれの境内社も華麗で美術的な建物にあふれていました。
東京にこんな立派な神社は見つかりません。
「おせんげんさん」とか「東海の日光」とも呼ばれるのに不思議はありません。
同じ静岡の「久能山東照宮」より、さらに目を見張らせられるでしょう。
さらに、当然拝観料は取っていないので「久能山」よりサイフに優しいのです。
創建は神話の時代からで、新しくても「浅間神社(あさまじんじゃ)」が901年で、まったくの古社です。
朝廷、鎌倉将軍家、今川、武田、織田、豊臣、徳川など時代時代の武将たちにも厚く崇敬されています。
特に江戸時代には歴代将軍の祈願所となり、徳川将軍家から手厚く庇護されています。
主な建物のほとんどが国の重文に指定されている現在に残る建物群は、1804年より60年の歳月を費やして造営されたそうです。
江戸時代後期とは言えまだまだ徳川の威信が厚かったのでしょう。
駆け足での参拝はもったいなく、最低1時間ほどは予定を取っておくべきでした。
静岡市のイメージを新たにさせられた神社に、ぜひ再訪・参拝したいものです。