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御朱印迷宮

関東を中心とした寺社の御朱印記録です。参拝・収集目的に少しでも役立てば幸いです。

下落合氷川神社の御朱印(東京・新宿区)〜「東山稲荷神社」と「おとめ山公園」も目指す

下落合氷川神社御朱印

しもおちあい ひかわ じんじゃ主祭神素盞嗚命(東京都新宿区下落合2-7-12)

 

 

下落合氷川神社御朱印です。

東山稲荷神社御朱印です。(兼務社

▼二社それぞれの由緒と神饌もいただきました。

御朱印は境内左手の社務所でいただけます。

丁寧に対応いただき「東山稲荷神社」への案内地図も渡されました。

 

▼当社へは西武新宿線下落合駅」から400mほどです。

「落合」の地名は域内を流れる「神田川」と「妙正寺川」が合流、「落ち合う」ところに由来するそうです。

 

▼神社脇は「新目白通り」と「西武新宿線」が並行しています。

▼線路の向こう側にこの大学。

覚えのない学校ですが、昔「富士短期大学」というのがありましたが、今時、短期大学は人気ありませんから2001年に名称が変更されたようです。

それにしてもどうして「富士」?

昔はこの辺りから富士山が見えたのかもしれません。

 

▼神社前の「新目白通り」を数えられないくらい通過していますが、やっと訪問です。

新目白通り」は「目白通り」のバイパス的目的で整備された道路ですが、バブル期が重なり用地買収などが遅れ、完成まで20年も要した道路です。

 

▼通りに面したこちらの鳥居は表参道ではなく「南参道」となるようです。

▼しかし社殿の様子など、神社の全体像はこちらからが一番把握できます。

西武新宿線の乗客にもこんな風に見えるので周知効果は抜群でしょう。

▼南参道前から通りの信号を二つばかり東に移動して表参道を進みます。

▼駅からほど近い表参道は人の往来が絶えず、立ち寄る参拝者も多く見かけられます。

▼車で訪問しても境内に数台分の駐車スペースがあります。

▼手水舎の水は休止中でした。

▼途中から見る社殿はとても良い姿を見せています。

▼脇に消防記念碑や戦没記念碑などの石碑が「ガレ場」造りの中に建ちます。

狛犬たちも溶岩状の石の上で今にも飛び上がりそうな様相で阿吽が向かい合っています。

当社の創建は不詳。由緒によれば神話の時代になってしまいます。

でも、この地は古くから蛍の名所として人々に知られていた落合の郷の鎮守として知られていたそうです。

また2kmほど東に鎮座する「高田氷川神社」とは「夫婦の社」と言われていたそうです。

そう呼ばれていた頃は祭神の「素盞嗚命」と、その妻の「奇稲田姫命」が下落合と高田に分かれて祀られていた事に由来するそうです。

 

▼唯一の境内社は「三峰天祖稲荷諏訪浅間」の五社を相殿としています。。

▼訪問日の神楽殿には子供たちの出入りが見られました。

神社のイベントか地域のイベントなどの話し合い、もしくは練習のように想像され、当社の地域との繋がりと崇敬の篤さが感じられました。

 

▼境内の鳩も社殿に向かい、しっかり神妙でした。あれっ、ハトじゃなかったかな?

 

東山稲荷神社

兼務社や境外社などの御朱印をいただいたら、必ず参拝しなければいけません。

と、言葉に出してる当ブログでも過去に数社だけ参拝できていない神社があります。

ので、境外社の「東山稲荷神社」に向かいます。

 

▼かつての落合は江戸の郊外でしたが、今や中流以上の住宅街。

そこに住まう人々の生活余裕が住宅の庭先に表れています。

氷川神社から表参道を東に300mほど戻って

▼「おとめ山公園」の看板を左折。

▼道路脇にも「おとめ山通り」の案内があります。

おとめ山」は、誰でも「女山」という文字を当てはめてしまうでしょうが、

この一帯は江戸時代に将軍家の鷹や猪などの狩猟場だったので、立入禁止にして

御留山」「御禁止山」と呼ばれ、現在はひらがなの公園名となっています。

 

▼「おとめ山通り」の坂道を左折するとすぐに社号標が建っています。

▼「東山藤稲荷神社」と彫られています。

かつては藤の花で有名だったところから「藤稲荷」とも呼ばれていたそうです。

また「富士稲荷神社」や「藤森稲荷社」とも呼ばれ、武家や庶民の参拝者で賑やかだったとか。

当時は単に「稲荷社」か「稲荷神社」だったでしょうから、

冠は人々が勝手に分かりやすいように付けたと言ってもよいでしょう。

境内から富士山が見えたかもしれません。

 

としても「東山」というのは意味不明です。

由緒によれば「京都稲荷山より勧請」とあるので「伏見稲荷」でしょうが、

伏見は「東山」ではないし・・・?

 

▼社号標の先を、またすぐ左折です。住宅街の先に朱色の鳥居が見えました。

参道はゴミひとつ落ちていいません。コンプリートです。

 

▼鳥居の先に石段が続いています。

 

▼石段を上がると右に「ニノ鳥居」。

忘れられたような稲荷社かと思いましたが、手入れは行き届いているようです。

 

▼神狐も比較的新しそうで、赤い前掛けも汚れていません。

人々に大事にされていることが分かります。

▼鳥居の先は参道が少しカーブしています。

▼途中に神仏習合の名残や、古く痛んだ狐像や水盤などが置かれています。

▼もうほとんど原型を留めないものも廃棄してしまうわけにはいきません。

▼「寛延」の文字が読めました。江戸時代の1748〜1751年です。

源経基が延長5年(927年)に京都より勧請。その後、経基は清和源氏の守り神として崇敬されたと由緒にあります。

祭神は「宇迦之御魂大神」「大宮能売大神」「佐田彦大神」。

▼社殿内部も清潔です。

▼社殿背面は「おとめ山」の木々が覆いかぶさっています。

▼現在は公園になっている「おとめ山」は広く、遊歩道の一部が見えます。

▼公園の「さわり」だけ散歩してみることにします。

今は子供たちですが、江戸時代にはイノシシが駆け回っていたのでしょうか?

落合の秘境」とも言われ湧水もあるので、池なども点在しています。

「鷹」ならぬ「鴨」でした。鴨狩りはしてはいけません!

 

「落合」という地域の一端を知ることもできた、とても良い二社でした。

 

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