南沢 氷川神社の御朱印
「みなみさわ ひかわ じんじゃ」主祭神:素戔鳴命(東京都東久留米市南沢3-5-8)
▼御朱印の案内は「南沢 氷川神社」だけですが、近隣の兼務社「神明社」や「浅間神社」などの御朱印もいただけるようです。
都下にあたるこの地域には「東大和市」「東村山市」「西東京市」と方角の東西の文字が付く市名がいくつもあります。
久留米、大和、村山、東京の地名は先輩として現存していたので
「東・西」の文字を付け足して市名としたのでしょうか?
「東久留米市」は明治期に「久留米村」が誕生し、大正時代に現在の西武線「東久留米駅」が開業しています。
そして1970年に市制の「東久留米市」となっています。
ですので、地理的な位置関係から名付けられる、比叡山に対する「東叡山」、高野山に対する「東高野」などとは違うのかもしれません。
「東」の文字がたくさん出てきて混乱します。
「南北」の文字が出てこないのが幸いですが、氷川神社の鎮座地は「南沢」。
▼神社の南方面から車でアクセスするとここに辿り着きました。
対向車とは絶対すれ違い不可能な狭い道路の先に鳥居が見えます。
▼鎮座地の地名「南沢」が示すように、また御朱印にも添え書きやスタンプがあるように、この地は「湧水の里」。
神社の北は「落合川」が流れ、南は沢になっていて、水の流れに挟まれるように神社は鎮座します。
沢の写真がうまく撮れないので
▼「東京トリップ」さんからお借りしたきれいな写真です。
「平成の名水百選」にも選ばれているそうです。
▼沢に架けられた「宮前橋」を渡ると鳥居が建ちます。
ここまで狭い路を車で進んでくると、鳥居の右奥に続く緩やかな坂があり、登れば境内へ駐車できます。
神社の周りには緑地や公園の木々が繁り、狭い路しかないので、なんとも言えない圧迫感、窮屈さを感じました。
しかし鳥居先の石段を抜け境内に登ると、窮屈さから解放されるような空間が広がっていました。
まずは手水舎で清めます。
当社の創建は不詳ですが伝承に「在原業平」の古伝があり、
現存する古文書には業平が東下りの際に南沢に宿を求め、社前に立ち寄ったと記述されているそうです。
▼「在原業平(ありわらのなりひら)」です。(写真は wiki 在原業平)
平安時代は歌人だらけ! 人名は知っていても具体的なことは覚えきれませんが、
業平は「伊勢物語」の主人公とも、「光源氏」のモデルともみなされる人物です。
古文書の「立ち寄り」記述が真実だとすれば、当社は1100年以上の歴史を持つ古社ということになります。
古社であると長い時間の中で焼失などにより、社殿の再建が何度も繰り返されることになります。
▼現存する社殿は1971年に建立された鉄筋コンクリート製。
彩度が抑えられた朱色は落ち着きと品を感じさせられます。
▼鳥居の額は「氷川大明神」でしたが、拝殿の扁額は「氷川神社」です。
本殿も装飾の塗りが、コンクリート製建物特有の単調さを補っています。
▼社殿の左側に回ってみます。
▼読めません、ジッ〜と眺めて1分。左から読んで「八雲社」でした。
「八雲神社(八雲社)」と書かれた案内板が立てられているので、
そちらを先に読めば1分間悩まないですみました。
▼その隣は「大神宮社」で天照皇大神が祀られています。
どの境内社もきちんと案内板が掲げられているのは気持ちの良いものです。
▼社殿の右奥もきれいに整備されています。
▼「稲荷神社」は二社並んでいます。
業平が立ち寄っていたとしたら、その時代は、せいぜいこの程度の社だったかもしれません。
▼「奉納 一金貮百圓」の大きな文字が刻まれています。
現代では200円はドトールのコーヒー1杯も飲めない金額です。
武蔵野の森に抱かれた雰囲気の南沢氷川神社は、
都心の社叢の深い、緑豊かな神社であってもそれとは違う空気が流れていて、
大きな神社ではありませんが、ゆっくりととても良い時間を過ごせました。
再訪するときは時間に余裕を持って、ぜひ近隣の「緑地保全地域」を巡ってみたいものです。