鳩ヶ谷氷川神社の御朱印
「はとがや ひかわ じんじゃ」主祭神:須佐之男命(埼玉県川口市鳩ヶ谷本町1-6-2)
右上のマル印は「鳩」でしょうか?
青い鳩が2羽飛ぶスタイルは2015年から変わらず。
▼御朱印に関する丁寧な案内が貼り出されています。
頒布終了前ならば5種類の御朱印がいただけたことになります。
2015年参拝時には有無を言わず記帳いただいた1種類が当たり前だったことを振り返るとやはり隔世の感を覚えます。
何度も記していますが、当時ほとんどの神社の御朱印は1種類だけで、初穂料も300円。
現在のような御朱印を取り巻く環境になるとは誰も予想できなかったことでしょう。
▼鳩ヶ谷氷川神社へは埼玉高速鉄道「鳩ヶ谷駅」から徒歩5分ほど。
川口市に編入される前までのかつての鳩ヶ谷市は「陸の孤島」と揶揄されていました。
W杯の開催会場の一つであった埼玉スタジアムがある「浦和美園駅」と
東京の「赤羽石淵駅」を結ぶ「SR(埼玉高速鉄道)」は、
W杯の開催に合わせて2002年に開業されています。
それ以前はバス路線しかなかったわけですから、沿線の人たちの交通手段は大きく変化したのでしょう。
現在は地下鉄などの相互乗り入れにより東京をまたいで、
「陸の孤島」から「群島」か「列島」に格上げされたような地域です。
▼そんな鉄道路線のおかげで駅から5分ほどで「一ノ鳥居」に着きます。
緩やかに傾斜する道路がやや右にカーブする微妙な位置に朱色の両部鳥居が建ちます。
島木と貫は朱色ではないのでツートン。なんとなく勇ましさが感じられる鳥居です。
▼参道は大きな銀杏の木が青々と茂っています。秋にはスゴイ事になるのでしょう。
▼住宅街を抜ける参道を銀杏の木が目隠しの役目と単調さを解消するようです。
▼参道を50mほど進むと「ニノ鳥居」と、石段上の「三ノ鳥居」が目に入ります。
▼車での訪問なら「ニノ鳥居」の左手に駐車場が設けられています。
▼社頭は2015年の初参拝時とは何やら様子が違い賑やかです。
鳩ヶ谷は日光への御成街道の宿場町でした。
神社は、その宿場町のほぼ中心地に鎮座し、創建は1394年と伝わりますので室町時代という事になります。
明治以降、周辺の神社がを合祀されて「鳩ヶ谷総鎮守」となったようです。
1600年、家康が会津征伐の際に当社で休憩をとったと伝わります。
その頃はまだこの狛犬は無かったことは確かでしょう。
▼少女二人の手水舎。男子二人より絵になるのはなぜでしょう?
境内が賑やかだった理由は本来は夏祭りの時期だったからだようです。
しかしコロナ禍で神事に関わる事業はかなり縮小されて露店だけが出ているようです。
▼ニノ鳥居の先は平成に造立された立派な「神門」。
▼社殿前に数基の神輿が展示されていました。神輿渡御も中止されたそうです。
▼社殿は昭和に改築されたそうでが、まだ屋根が新しく青々としています。
▼それほど多くの出店ではない露店ですが、地域の子供達の姿も多く、何かほのぼのとした感じをさせられます。
▼手前の小さな神輿は子供神輿でしょう。出番のない神輿は少し寂しげです。
▼境内社を見ていきましょう。
▼「天満宮」は「熊野社」と「八幡社」の相殿になっています。
▼絵馬やみくじの多さは神社が崇敬され、人気のバロメータでもあるでしょう。
▼さらにその奥に「浅間社」と「三峰社」が並びます。
▼岩屋の中に弁天様もいらっしゃいます。
▼「稲荷社」もきれいに整備されています。
▼大・中・小、極小の神狐。
▼戦没者慰霊碑の隣に「笑う少女」。著名な彫刻家、北村西望の名があります。
▼「力石」。
それほど広くはない境内ですが、社殿の側面から裏側まで見るものが次から次へと現れ、飽きさせません。
▼「古峯社」の狛犬はマンガチックでユニーク。
▼その傍らに、もうすぐ役目を終えそうな狛犬は苔むしています。
▼御神木の「夫婦楠」。
こうして全てに案内札が立てられているのはありがたい事です。
▼楠は反対側に回ると、まさに夫婦。縁結びの役目を引き受けているようです。
▼きれいなハート形の植栽は喜ばれそうですが、維持が大変そうです。
▼「猿田彦大神」も祀られています。
▼祭りのお囃子が・・・
▼・・・楠より高くへ流れていきました。
▼最後に2015年参拝時の写真。
4月午後の訪問でしたが、同じ神社とは思えないほど静か。
やはり神社も参拝者の姿があるか無いかで、そのイメージは驚くほど異なります。
そして来年、2023年こそは祭りが縮小されず、フル内容で開催されることを祈ります。