調神社の御朱印
「つきじんじゃ」主祭神:天照大御神(埼玉県さいたま市浦和区岸町3-17-25)
8年間のブランクがある二体の御朱印ですが、構成に変化はなく中央の神社印が新しくなっています。
右上の後ろ姿のウサギは「お祓い棒」を肩に担いでいるのかと錯覚しましたが、
そうではなく両手で捧げ持っている後ろ姿なのでしょう。
「お祓い棒」は「大麻(おおぬさ)」とも言います。
「大麻」は、あの「タイマ」です。
古来日本に大麻を吸引する風習はなく、布や紙にしたり、生活の必需品で、麻を神への供物にもして貴重な「大麻」だったようです。
▼御朱印は社殿右手にある授与所で丁寧な対応をしていただけます。
▼浦和宿の旧中山道沿いに神社入口を構えています。
社号標には「縣社 延喜式内」の文字が見られます。
街道沿いに神社があるのですから当時も中山道を往来する旅人は必ずや参拝に立ち寄った事でしょう。
しかし、この神社の正面参道には鳥居がありません。
▼その代わりでは無いでしょうが、結界として少し奥に「注連柱」があります。
と言っても取り立てて珍しくも無いかもしれません。
京都岡崎神社などでも狛兎は見られますし、狛鼠、狛猿、狛猪、狛虎、狛亀などもあるくらいです。
でも当社の兎たちは子ウサギを抱え可愛らしく、誰しも微笑ましく感じます。
ウサギが狛犬がわりになっているのも不思議ですが、
調神社を「つきじんじゃ」と読ませるのも不思議です。
当ブログは当初「しらべじんじゃ」と読んでいました。
身勝手な現代人は幸運の「ツキ」に結びつけ、「ツキに恵まれますように・・」との参拝者もいるとか。
そんな人たちの中には「運の尽き」を知ることになる方もいるそうです。
神社の由緒によればを中世では「調」と「月」は同じ読みだったそうです。
その同じ読みは「つき」だったのでしょう。
そして民間で信じられていた「月読信仰」というものに結び付けられたそうです。
「月読信仰」?? 知りませんが、昔は庚申信仰など色々な民間信仰があり、
とくに満ち欠けする月には神や仏を感じずにはいられなかったのでしょう。
「お陽さま」も同じでしょう。
当社の創建は不詳。
由緒によれば崇神天皇の勅命により創建とされていますので神々の時代です。
「調」は「租 庸 調」に関連し、伊勢神宮への調物(みつぎ物)を納める御倉が調神社の前身になったと想定されています。
江戸時代には「月読社」とも呼ばれ、
現在地元の人々には「つきのみやさま」と親しまれて呼ばれているそうです。
社殿は過去に何度も焼失されており、現存する権現造りの社殿は1858年造営のもの。
▼この写真は2014年撮影。
▼大きく変わっていませんが、天水桶の小桶がなくなっています。
▼その天水桶を担いでいるのはウサギではなく狛犬のようです。
▼向拝の彫刻には下部にウサギたちも見られます。
▼奉納提灯には近隣の神社の名称も見かけられます。兼務社かもしれません。
▼正面参道の右手、少し南に旧中山道から少し奥まって鳥居が建ちます。
▼こちらにも立派な手水舎が設けられています。
▼水盤は苔に覆われ水がダダ漏れ状態でした。
▼鳥居の正面は「金比羅神社」でした。
▼その左隣は「調宮 天神社」。学問の神にはたくさんの絵馬が奉納されています。
▼こちらは古い「狛兎」でしょうか。少し傷んでいますが優しい表情をしています。
▼正面参道脇にある社務所。
▼宮司さんの像も。
▼干支をあしらった大きな絵馬が置かれている神楽殿。
車での参拝の折は係の方がこの周辺に車を導いてくれます。
▼社殿右手奥に参道と橋、朱色の鳥居が見えます。
▼神橋の両サイドには神池が広がっていて、ここでもウサギが働いています。
▼噴水の役目を担っています。水面に映って水の中からも噴水です。
朱色の両部鳥居を抜けて、もう一つ石の鳥居の先は「稲荷社」。
▼ガラスの覆屋の中をのぞいてみます。煌びやかな社殿は旧本殿を利用したものだそうです。1733年の造営で江戸時代までは本殿だったそうです。
▼ここでもウサギたちが飛び跳ねています。「月待信仰」が篤かった事が伺えます。
▼ガラスが光って社殿の全体像が掴みにくいのが残念です。
▼左隣には小さな仮殿。
▼噴水ウサギの後ろ姿を見ながら神社を出ることにします。
随所に見られるウサギのせいか、優しく、しっとりと落ち着いた境内で、
たくさんの「ツキ」をいただけても不思議で無い、とっても良い神社でした。