渋江白髭神社の御朱印
「しぶえ しらひげ じんじゃ」主祭神:(東京都葛飾区東四つ木4-36-18)
▼渋江白髭神社の御朱印です。
▼渋江白髭神社の御朱印です(疫病齋)。
▼京成線「四ツ木駅」から徒歩5、6分です。「渋江」は古い地名。
「四ツ木駅」周辺には「四ツ木白髭神社」「渋江白髭神社」「王子白髭神社」などがあるので、間違うと無人の神社だったりします。
この地域には荒川を挟んで墨田区と葛飾区に「しらひげ神社」が10社ほどあります。
「白髭」だったり「白鬚」だったりします。
それぞれの神社の関係、繋がり、共通点はよく分かりませんが、
ほとんどが「猿田彦命」を祭神としていることは確かなようです。
境内に駐車することは難しそうだったので、近くのパーキングに駐めて歩きます。
▼神社前に公園がありました。
▼訪問日は曇っていましたが、社叢が少ないせいか乾燥感のある境内です。
黒ずんだ鳥居は火に焼かれたのかもしれませんが「文政六年」の文字がありました
▼コロナのおかげでどの社寺も手水舎の水の扱いに苦労させられるようです。
コロナウイルスが消滅することはないので、こんなスタイルが手水舎のニューノーマルになってしまうのかもしれません。
もしそうならば寂しいニューノーマルと感じます。
▼参道の先で少しカーブしてコンパクトな社殿が建ちます。
当社の創建年代は不詳ですが、貞観年間とも治承年間とも伝わり室町時代の創建と推測されています。
▼拝殿前の狛犬も古そうですが、建立年を確かめ損ないました。
おそらく江戸時代の造立かもしれません。
▼風格を漂わせる木造社殿は1848年に造営され、その後に屋根葺の改修などの手が加えられて現存します。
▼祭神、猿田彦命(さるたひこのみこと)、大己貴命(おおなむちのみこと)、建御名方命(たけみなかたのみこと)にご挨拶!
▼江戸末期の造立は、まだこんな彫刻を施す技術や経済的余裕があったのでしょう。
▼木鼻もまさに芸術と言えるような見事な彫り物となっています。
江戸期には「葛西の客人大権現」と称され、明治期に「客人社」「三社神社」「澁江神社」などと呼ばれていたものが現社名となっています。
▼社殿全体を向かって右サイドから見た様子です。
▼当社が所有する文化財の説明です。
▼境内社が三つ並んでいます。
近隣や境内に点在していた厳島神社・大鳥神社、皇産霊神社、稲荷神社が境内に整理されたそうです。
境内社が移築、集合されたのが平成ですので、神狐たちも同じ時期の造立でしょう。
▼「舞殿」は昭和の造営。
▼境内右奥には「神輿庫」が並んでいます。
▼境内の一画に、当社が江戸期に「客人大権現」と呼ばれていた名残りがあります。
本ブログも当初は「客人」を「きゃくじん」と読み間違えていましたが、正しくは「まろうど」です。
意味的には文字通り「きゃくじん」と理解しても大きく間違っていず、「めったに来訪しない貴い賓客」を表す古語だそうです。
江戸時代には江戸名所のひとつとして参詣人が絶えなかったといいます。
また、諸人愛敬、商売繁盛、芸能上達の御神徳もあると伝わり、一般人の他に遊郭、芝居茶屋、料飲業者などの信仰も集めたそうです。
道標には「文政」の文字が見えますが、当時は最も隆盛を極め、遠近から参詣者が絶えなかったそうです。
かつては「右」「左」と、多くの道標が建てられたいたのは参詣者が多かった証でもあるのでしょう。
小さい神社でしたが、江戸時代の賑わいが各所に感じられ、宮司さんのお話も丁寧でとても気持ちの良い訪問でした。
またこの地域に数ある「白髭神社」も、それぞれ個性を持っていることを感じさせられました。