天應山 芝山仁王尊の御朱印
「しばやまにおうそん」正式名称:観音教寺 天台宗(葉県山武郡芝山町芝山298)
▼芝山仁王尊の御朱印です。
観音教寺の本尊は「十一面観音」ですが、
一般的に知られている仁王門に安置されている「仁王尊」が墨書きされています。
左下の印は寺の印でしょうが、全く読めません。
山号の天應山の文字「應」とか「山」が見え隠れしていますが、ハッキリりしません。
▼どう見ても交通手段は車でしかなさそうですが、「芝山千代田駅」JR「松尾駅」より「ふれあいバス」が運行されています。
寺の所在地は「山武郡芝山町」、隣接して2006年に発足した「山武市」があり、東京人としては混乱します。
さらに
「山武郡」は「さんぶぐん」、
「山武市」は「さんむし」とそれぞれ読みが異なります。
さんぶぐん芝山町は土地の約70%に古代の遺跡があるとされていますが、
御朱印の寺印のように、ここもで各自治体の思いが見え隠れしているかもしれません。
さて、観音教寺は781年、奈良時代の天応元年に藤原継縄により創建された古刹です。
▼「藤原継縄」は曾おじいちゃんがあの藤原不比等です。(▼写真は「wiki」)
781年(天応元年)征東大使藤原継縄がこの地を訪れ十一面観世音菩薩を安置したのがこの寺の始まりとされ、その後は千葉氏の帰依を受けた。
継縄は征東大使に任ぜられた。しかし継縄は準備不足などを理由にして平城京から出発しようとせず、遂に大使を罷免されてしまった。
継縄が「この地を訪れ」か、「平城京から出なかった」のかはっきりしません。
平城京を出なくても継縄の命だけで当地に寺院建立は可能だったでしょうが・・・。
駐車場から石段を登ると、いきなり本堂かと思いましたが、
▼「仁王門」でした。
▼「仁王尊」の額が掲げられ、大きなワラジや彫刻、複雑な組み物がある重厚なお堂形式の門は明治期に建立されています。
しかし、仁王像は見られませんでした。
他の寺では門の左右に金網越しで見られるような仁王像ですが、ここでは堂内の奥深く須弥壇の厨子の中に安置されているそうです。
▼仁王門をくぐると真っ先に「三重塔」が目に入りました。
▼ミーハーな気持ちが抑えきれず、最初に足を向けてしまいました。
塔の先端までは約25m。江戸時代に40年間を費やして造立されたそうです。
▼「本堂」も、3月下旬のサクラの花に先に目がいってしまいます。
観音教寺は千葉氏の祈願寺であり、庶民には火事・泥棒除けの寺として多くの信仰を集め、成田詣と同様に各地から参拝者が訪れ、
昭和30年代までは門前に旅籠もあった賑やかさだったそうです。
▼本堂は江戸中期の建立です。
堂内は天井画など目をグルグルさせる見ものがイッパイでした。
有難くも拝観無料で、素晴らしい建物が続く境内でしたが、
▼境内の隅に立つ「不動堂」のバランスが素晴らしく一番印象に残りました。
不動明王が祀られていますが、元は岐阜市の個人の菩提を弔うために建立されたお堂だったそうです。
芝山仁王尊周辺は、はにわ模型が並ぶ公園や、はにわ博物館、旧家の住宅、昭和初期までの参拝者のための旅館などがあり、
季節の良い時期の一時を過ごすのに退屈しないエリアです。
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22.07.08に安倍晋三氏が亡くなりました。冥福を祈ります。
コロナに始まった2022年。