萬徳山 勝覚寺の御朱印
「しょうかくじ」真言宗智山派(千葉県山武市松ヶ谷イ2058-1)
「四天尊御守護」「拈華微笑」「釈迦如来」「勝覚寺」と続いています。
二体とも丁寧に朱印帳に浄書いただきました。
中央の印は「華を持っているお釈迦さまの両手の御姿」だそうです。
桜のスタンプは月替りで別のモチーフになるそうです。寺務所の受付にはたくさんのサンプルが掲示されていました。
▼勝覚寺 「拈華微笑(ねんげみしょう)」の御朱印。
「ねんげみしょう」の意味は当寺のHP「四天尊勝覺寺」を参照しましょう。
京都建仁寺の御朱印は「拈華堂」と書かれますが、同じ意味の「拈華」です。
▼御朱印は境内奥の「遍照殿」の右奥でいただきました。
「成東駅」から「千葉フラワーバス」が運行されているそうです。
寺の周囲は住宅地もありますが、ほぼ田園地帯です。
以前も記事にしたように思いますが「山武市(さんむし)」は、
2006年の平成に成東町・山武町・蓮沼村・松尾町が合併して市制に移行しています。
それから16年。それでも知名度は低いように思います。
御朱印を浄書いただきながらご住職との話の中で、
「同じ千葉県人でもさんむしと正確に読めない人がいて、これはイカンと思います」といささか嘆きの声。
知らない人は「やまたけし」と読みたくなってしまうでしょう。
合併の際に市名を「山武市」と決定したのがシッパイだったかもしれません。
地域を前から知っている方は「成東」の方が知名度が高いことを知っています。
当ブログも「成東」の方が馴染みがありますが、恥ずかしいことにある時までは「なりとう」と呼んでいました。「なるとう」が正解です。
ご住職に指摘されるまで「成東」の意味も「成田の東」と勘違いしていました。
▼ご住職がメモ用紙に書いてくれました。
なるほど「鳴るなみ」です。「涛」は「濤」とも書きます。
当寺から九十九里の海岸まで約2km。かつてはもっと海岸線が近かったでしょうから、この地域は「波が鳴る」のが聞こえたほどだったかもしれません。
その「鳴涛」がいつの間にか「成東」に変化していったのでしょう。
寺とは直接関係ない話が長くなりました。
▼広く広がる田んぼの中に整備された広い駐車場があり、そこから境内に入ります。
▼その隣は「聖観音像」。
▼手も心も浄めて本堂に向かいましょう。
▼このアングルですと、日本の原風景にようなステキな景色になりました。
▼花壇が文字のようになっていました。「心」じゃない!?
勝覚寺は947年の開山と伝わり、江戸時代には両国「回向院」での出開帳も記録も残されているそうです。
「関東八十八ヶ所霊場」第四十六番札所でもあります。
▼本堂である「釈迦堂」は江戸初期の建立。
他の多くの寺院同様、様々な災害にあいながらも修復・改修が加えられています。
▼訪問日は運良く開堂日で、釈迦堂内部を拝観できました。
後で気づいたのですが内部は「撮禁」だったかもしれません。
しかし様々な寺社の「撮禁」に対しては、勝手な持論を持っていますので、あえて掲載です。
もし「おしかり」と「地獄行き」が待ち構えているとしたら止むを得ません。甘んじて受けることにしましょう。
「拈華微笑」の「釈迦如来」を中心に、圧倒的な迫力の「四天王像」が釈迦を守っています。
どれも鎌倉時代以降の作だそうです。
増長天、持国天の忿怒は「撮禁」を犯した者を邪鬼とし、武器で戒める姿でもあるかもしれません。
▼こちらからも睨まれているような気持ちになります。
「撮禁」に対する浅薄な持論がガラガラ崩れ、単なるルール違反者に成り下がりました。
▼しかし建立当時の「天井画」の天女たちは慈悲深く「微笑」されている、と勝手な解釈で慰められまます。
「四天王尊」と地元の地名にまつわる話が当寺のHP「四天王と伝説」に掲載されています。オヤジギャグの連続で出来上がった地名に興味ある方は覗いてみてください。
▼境内を見て回ります。
▼「太子堂」の脇にはサイクルラックと小さな不動像。
よく見るとサーフボードに乗っています。
さすが九十九里、波切り不動ならぬ「波乗り不動」だそうです。
▼そう言えば同じ千葉御宿に「波乗り観音」がありました。
▼もちろん千葉には「波切り」も複数あり、そのうちのご近所 山武市の寺です。
海辺近くには「波除」神社などもあり、
どれも海を恐れ敬う気持ちから生まれたものでしょう。
▼鐘を突けば九十九里に届き、九十九里の波音は勝覚寺や成東の街に届くのでしょう。
御住職のお話では、千葉は県別の寺数としては上位に位置して、京都に負けず3000以上あるそうです。
まだまだ御朱印をいただける寺社は無数にあるように感じます。