▼前玉神社の御朱印(2020年)。
猫のスタンプが押されていますが、神社と直接関連があるわけでなく、
神社で飼われているユニークな名前がつけられた数匹の猫がモチーフになっているようです。
猫好きの参拝者が多いかもしれませんが、
感染症のせいか訪問時に猫の姿は見えませんでした。
この神社では、ここ数年のうちに限定御朱印も多く授与されるなったようです。
▼またこんなメッセージも、御朱印と一緒に渡されました。
何でもない一言かもしれませんが、手書きをコピーする手間などを考えれば、
神社の姿勢の一部分が見えるメーージです。
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▼前玉神社(さきたまじんじゃ)は「埼玉古墳群(さきたまこふんぐん)」内に鎮座すると言っても良いでしょう。
しかし駅は近くになく、JR「行田駅」や「吹上駅」からのバス利用になります。
▼「埼玉古墳群」は過去に一度だけ歩いていますが、写真がありません。
wikiからお借りしました。
(wikipedia埼玉古墳群)(wikipedia稲荷山古墳)
9基の大型古墳は国の特別史跡。世界遺産登録を目指しているそうです。
日本でも地球規模でも、世界遺産の登録は増えるばかりです。
登録されることになれば、この前玉神社の様相も様々な点で一変するかもしれません。
▼「古墳通り」と名付けられている神社の前の通りから直接駐車場へ入れます。
古社は大概、創建が不明です。
前玉神社の創祀も古墳時代と推測されていますが、古過ぎて不詳でしょう。
▼社号標には「延喜式内」と彫られています。
縄文から弥生時代、そして古墳時代は1500年も昔のことです。
ここ前玉神社に限らず、よく考えてみると、
その頃から祭祀の形が窺え、そして神社としての姿を造りながら現在まで続いている時間の流れの連続に不思議な感慨をいつも覚えます。
そこまで古くなくとも、狛犬たちは少なくとも現在の参拝者より長い時間を神社とともに過ごしてきたのでしょう。
▼古墳通りに面する参道を進み振り返りました。古木の雰囲気が良い参道です。
▼二の鳥居の先の森が古墳群の「浅間塚古墳」で、社は古墳の上に鎮座していることになります。古墳ですが高さはあまり感じられません。
▼二の鳥居の右手先は、大勢の参拝者が群がる授与所になっています。
▼神社を巡るようになって初めて「前」を「さき」と読むことを知りました。
▼手水舎は残念なことに規制ロープが張られています。慣れましたが・・・。
▼それでも水盤の中は、綺麗な花で満たされていました。神社の女性たちの手によるものでしょう。
参拝者をどのように迎えようかという、気持ちが現れているように感じます。
▼手水舎の彫刻も手の込んだ見事なものです。
どの神社内にも建つ小さな建物である手水舎に、どれだけの匠と時間が使われているかで、神社の生い立ちや性格の一部分が見えることもあります。
▼古墳内に足を踏み入れ登ります。
▼石段を上がるとすぐ右手に現れるのは、御朱印をいただいた「浅間神社」。
木花開耶媛命(このはなさくやひめのみこと)が祀られています。
富士塚はありませんが、もともとは前玉神社の鎮座する古墳を富士山に見立てていたそうです。
当時は古墳上を「上ノ宮」、中腹にあるこの神社を「下ノ宮」と呼び、
明治になってからそれぞれ「前玉神社」「浅間神社」になったと伝わります。
▼黒ずんだ提灯は傷みが進んでいるのでしょうか?
▼天神社など小さな社の境内社がいくつか並びます。
▼古墳上の前玉神社に続く石段。
▼祭神は前玉彦命(さきたまひこのみこと)、前玉比売命(さきたまひめのみこと)。
▼どうしたんでしょう? こちらの提灯も相当汚れています。
参拝を終え、再び石段下に戻りますよう
▼龍泉池と名付けられた区域はフェンスがあり入れません。
池の中島はいくらか荒れ気味。
白、ピンク、紫の数多い幟が賑やかな演出をしている神社でしたが、
この幟がないととても寂しく感じる境内でしょう。
それでも古墳に建つ古社の雰囲気はとてもよく、
人間の手による賑々しい新たな余計な造り物はまったく不要なのでしょう。
同じ市内に鎮座する「行田八幡宮」も歴史ある神社ですが、
一つは市外に鎮座し、もう一つは古墳群に鎮座するという、
2つの神社は全く雰囲気の異なるものでした。