▼埴生神社の御朱印(2020年)。
▼埴生神社の御朱印(2016年)。
▼通常御朱印も月毎に異なるスタンプが押されるようです。
1日・15日の限定のほか、神社のFBによると、正月にも干支のイラストを組み合わせた御朱印がいただけそうです。
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▼埴生神社へは「成田」が最寄駅となりますが「成田山 新勝寺」参拝の前後で訪問する方がほとんどでしょう。
▼正面に神社が見えるカーブした道路は、正月には成田山へ向かう車で大渋滞となります。そんな時でもこの神社は、成田山と比較すれば空いているという状態です。
イングランド民謡の「マイ スイート ホーム」は「埴生の宿」として日本でも誰もが知っていて、親しまれている曲です。
ですので、この神社の読みも当初は「はにゅうじんじゃ」かと思っていたら、
「はぶじんじゃ」でした。
「埴」という字は、人名、地名の固有名詞以外に普段はあまり使用されない文字です。
ほかには「埴輪」くらいしか思い当たりませんが、
どうやらその「埴輪」と全く無関係でもない「埴生神社」のようです。
神社のHPからの引用です。
創建の年代は不詳ですが、以前この地方は埴生郡(はぶごおり)と言われており、今から約1500年前にこの地方に集落を構え、土師器(はじき)を作って生活を営んでいた土師部(はじべ)一族が自分達の祖神、氏神と「埴山姫之命」を祀り古代祭祀を執り行ったのがはじまりとされています。神社の建っている場所も成田の町の中では自然的に一番高い所に位置し、古墳の跡に社殿が建立されております。
引用の中では「土師器(はじき)」とか土師部(はじべ)という聞きなれぬ言葉が出てきますが、
簡単に言えば、土器と土器を作る人たちのことでしょう。
そんな土器を作り生計をたてる人たちが集落を形成し、
彼らの祖神であり、土の神である「埴山姫命(はにやまひめのみこと)」を祀ったというのは、無理がなく理解しやすい話です。
神社の鎮座する当地は古には「埴生郡」と呼ばれていたそうで、
近隣には「玉作郷」「羽取郷」「麻生郷」という名称を持つ地もあったそうです。
それぞれ「土」に関わるもの、「玉」「織物」「麻」などに関わる人々それぞれが生計を立て、集落を形成していたのでしょう。
▼成田総鎮守の扁額は「三宮正一位埴生神社」となっています。
当然、一宮、二宮があったのでしょうが、全国にある旧国の「一宮」とは順番の意味が違うようです。
利根川を利用した物資の流通経路としての順で、一宮、二宮、三宮と名付けられたそうです。
神社の生い立ちは易しいのか、難しいのか分からなくなってきますが、
平安時代初期に「土」を生業とする人々が「土」を敬って神にひれ伏したのが始まりの神社、と簡単に解釈しても間違いないでしょう。
▼「埴輪」作りの子孫たちが祀った「埴山姫命」は、この社におわします。
▼境内から鳥居を振り返りました。
▼もちろん、塵一つない綺麗な境内は見事に掃き清められ、砂利の流れに足を踏み入れることは憚られます。
▼社殿裏側区域に足を踏み入れてみます。古墳跡らしく、さらに少し高くなっています。
▼神社に地蔵があっても、近頃は違和感を覚えません。
▼神が「おわします」感を一番感じた社でした。
▼本殿の後ろ姿も美しく、思わず「バックシャン」という死語が思い起こされました。
▼社殿裏をグルッと回って戻り、社殿横の境内社に挨拶して帰ります。
近くの成田山新勝寺は、誰もがその名を知る有名寺院ですが、
もしかしたら埴生神社は新勝寺より古い歴史を持つ神社かもしれません。