小湊山 誕生寺の御首題と御朱印
▼小湊山 誕生寺の御朱印(2020年)。
墨書きの「蘇生延寿」は、日蓮が母の安否を気遣って小湊を訪れたところ、
時すでに遅く、息絶えた母のために祈ったところ、
法華経の功徳により蘇生し、その後4ヶ月間の寿命を得たことに因みます。
蘇った生命です。
また日蓮は「蘇生満願の祖師」とも呼ばれます。
中央の朱印は山号の「小湊山」だそうです。
子供イラストスタンプの「善日麿」は日蓮の幼名です。
▼小湊山 誕生寺の御首題(2020年)。
朱印は右上から
「日蓮大聖人御降誕八〇〇年慶讃」
「日蓮聖人 小湊誕生寺 降誕霊跡」
「安房國小湊山誕生寺」と続きますが、
題目のトップに押されている丸い朱印は、寺の公式サイトにも使われていますが、何を意味するのか分かりません。
寺紋でしょうか?
▼小湊山 誕生寺の御首題(2012年)。
どの寺社でいただく御朱印も御首題も、過去のものと比較するとスタンプや添え書きがプラスされてことが度々あります。
今回いただいた誕生寺の御首題は朱印が全て新しくなってクッキリな御首題でした。
2012年にいただいた達筆の御首題と、掠れた朱印に感動したことを覚えています。
▼誕生寺の所在地は鴨川市ですが「安房鴨川駅」とは相当かけ離れています。
東京方面からですとJR外房線「鴨川駅」の2つ手前「安房小湊」が最寄駅で、徒歩ですと15〜20分ですが寺までの海沿いの道は、おそらく退屈しないでしょう。
▼小湊ではありませんが、同じ外房の2020年の海は静かです。
▼ビーチもいくらか寂し気です。
▼夏も去って、思い出だけを探している秋のような海です。
今じゃ外房の海は大きな人気はないとしても、これほどの夏は誰しも経験したことがないでしょう。
▼誕生寺門前の「鯛の浦」遊覧船乗り場も閑散としています。
日蓮は1222年、この地の漁村に生まれています。
具体的な誕生場所は沖合い海中にあるとも伝わります。
日蓮の誕生と同時に、家の庭先から清水が湧き出し、
近くの砂浜一帯には季節外れの蓮華の花が咲き、さらに
海面近くには、マダイが群れをなして現れたというエピソードが伝わっています。
以後、鎌倉時代から当地の人は「鯛を日蓮聖人の化身」として守ってきたそうです。
現在も恐れ多い鯛を食べない人がいるそうです。
深海魚の鯛ですが、不思議なことに鯛の浦では「まるで餌付けされた生け簀の鯛」のように、
海面にその群れを見ることができるのが「鯛の浦の遊覧船」です。
過去に一度だけその遊覧船に乗っていますが、
その時は前夜の宴会の酔いが覚めやらず、何も覚えていません。
今回訪問も観光目的ではないので遊覧船に再び乗船するのは次の機会にしましょう。
▼車は門前の有料駐車場を避け、こんなふうに船が陸揚げされている場所に止めました。漁港です。
手前に「警告! 漁協関係者以外進入禁止」の看板がありましたが、
鴨川市当局の権限での警告なら有効ですが、漁協関係者が漁港から一般人を強制的に閉め出しできる法的根拠は見つかりません。
私有地以外、看板自体が違法と思います。
「進入禁止」ならロープなどで規制すれば良いのですが、ありません。
ですから県外ナンバーの車も数台見かけられました。問題ないと思います。
▼車を駐めた漁港から寺方面を目指すと、木陰に仁王門が見えます。
▼正面の総門から参拝スタートです。
1222年生まれの日蓮は2022年で八百歳です。
▼総門前の道路沿いにはホテル、旅館が立ち並び、車の流れとともにガヤガヤと少し落ち着きがありません。
▼以下2枚は2012年の撮影です。
▼そして2020年。大きな変化はありません。
▼仁王門に掲げられた「日蓮降誕800年・・」の横断幕も変わっていません。
1276年に日蓮の弟子により、生家跡に建立された誕生寺ですが、
度重なる大地震と津波により失われ、現在地に移転され蘇ったそうです。
しかしその後の江戸時代の1758年にも火災で伽藍をすべて焼失、残されたのは仁王門だけだったそうです。
したがって、誕生寺の主な伽藍はその後の建立で、昭和から平成にかけて復興再建されたものも少なくないようです。
何度でも蘇った寺なのです。
▼小高い位置に建つのは「誕生堂」。
▼誕生堂のさらに上にもお堂の屋根が見えます。後ほど行ってみます。
日蓮の幼名は「薬王麿」とも呼ばれていました。
▼「鯛塚」です。
日蓮誕生時に金色に輝く大きな鯛が飛び跳ねた「鯛の浦」は元々は「妙の浦」と呼ばれていました。妙なる海です。
当地ではこうして塚を築き、毎月6日に手厚く供養されているそうです。
▼浄行菩薩像が祀られています。
▼誕生寺メインの「祖師堂」。
「蘇生満願の祖師」が祀られています。
祀られている尊像は「生身の祖師」として1363年に造立されたものだそうです。
「生身」というのは日蓮の裸像だそうです。
その生身の像に現実の僧衣を身につけているそうです。
いずれにしても地震や津波などの天災に遭遇しながらも守り継がれてきた像です。
特に津波は1498年、1703年と何度も襲われ、土地は陥没し伽藍も失われています。
当然多くの人命も失われています。
寺はその都度移転を余儀なくされ、現在地に蘇っています。
見事な彫刻が施されています。
▼堂内の「願満の鯛」のハリボテ。
縁起物として張り子細工の土産物にもなっています。やはり鯛と縁の深い誕生寺です。
▼祖師堂の先に「宝物館」と「本堂」が続きます。
他の宗派ですと「本堂」が中心になる境内ですが、
日蓮宗の大きな寺では「祖師堂」がメインのお堂とされるようです。
▼正面からは見えなかった「宝塔」が祖師堂の裏に建ちます。
▼道標は「従是
誕生堂から見えたさらに高みにある「太田堂」への参道を進みます。
▼「太田堂」は、あの太田道灌の太田家が守護神とする稲荷大明神を祀っています。
▼狐たちは前掛けではなく、ハチマキにタスキ掛けしていました。
▼上からは誕生堂の屋根が見えます。
誕生寺の境内は広大です。
このほか「誕生水の井戸」「龍王堂」や、また寺に隣接してかつては番神堂だった「小湊神社」などを見逃してしまってます。
それらはまた機会をみての訪問でチェックすることにしましょう。
フシギが詰まった鯛の浦を眺めながら帰ります!