龍ヶ崎 八坂神社の御朱印
ここでの掲載はありませんが通常御朱印も用意されています。
隔月限定御朱印は1年12ヶ月、月ごとに筆書きの文字色が変わります。
▼龍ヶ崎八坂神社の御朱印です(2022年)。
9月にいただける「黄色」は、「暦の象徴であり、一年で最も美しい中秋の名月を表現」しているそうです。
▼龍ヶ崎八坂神社の御朱印です(2018年)。
7月にいただける「水色」は、「当神社祇園祭最終日に行われる『撞舞(つくまい)』が雨乞いなので雨を表現」しているとか。
左の「撞舞」をモチーフにした御朱印は、7月21〜29日に催される祗園祭の期間中にいただきました。
奇祭と言われる「撞舞」は、
最終日の夕刻から撞舞通りにおいて「撞舞」「神馬」「獅子」の三神事が行われ、通りは大勢の人で埋め尽くされるそうです。
▼朱印帳に浄書いただけるものが3種類、見開きの書置きが4種類、さらに次月にいただける御朱印が案内されていました。
全部いただくと5,500円ということになります。
2度目の訪問は記帳いただける月替り限定だけいただきました。
宮司さんから「1種類だけでよろしいですか?」と声をかけられました。
500円〜1000円の御朱印が珍しくなくなりました。
御朱印をいただく際の予算分配をしていないと、すぐ3,000円、5,000円という数字になってしまいます。
ボンビーにはツライ昨今です。
▼魅力的なイラストの御朱印帳も案内されています。
御朱印などの詳細は当社のHPなどで最新情報をチェックしてください。
▼神社は関東鉄道竜ヶ崎線の終点「竜ヶ崎駅」から600mのほどの上町に鎮座します。
東京駅から特急を利用して1時間強で社頭に到着します。
地域では常用漢字の「竜」と、難しい字の「龍」が入り乱れています。
大小の「ヶ」「ケ」も使い分けられ、何らかのルールがあるのかもしれません。
▼竜ヶ崎駅から続く、ちょっと寂れた感じの「竜ヶ崎本町商店街通り」に面して八坂神社の鳥居が建ちます。
鳥居の右手に参拝者用の駐車場が設置されています。
由緒からの引用です。
当神社は源頼朝の家臣下河辺政義(しもこうべまさよし)公が、文治2年(1186年)に領地龍ヶ崎市貝原塚の領民を引き連れ、沼沢の地であった根町を干拓した際に、貝原塚の鎮守神社である八坂大神の分御霊を祀ったのが草創と伝えられます。
1186年の草創ということなので、ちょうど平家が滅亡した頃です。
その創建から約400年後の1577年に現在地に遷座されています。
▼いつもの通り正式名称は単に「八坂神社」。江戸時代までは「天王社」と呼ばれていました。
人々の行動範囲の広がりと、情報の広がりが「龍ヶ崎」という地名を冠として付けなければ混同されてしまうことになりました。
▼鳥居をくぐると正面に手水舎。
▼ユニークな龍頭から水が出て、柄杓も用意されています。
当社でも「境内ではマスクを」と断り書きがありますが、全体的にはコロナ禍の対処は都心部の方が神経質で、地方の寺社は少し緩やかに感じます。
したがって、朱印帳への直書きも都心部ではほとんど稀にしか見られなくなっています。
長引く感染症は書置き御朱印ばかりが膨らみ、いちいち朱印帳に貼っていると着膨れのように膨らんだ朱印帳になってしまいます。
また書置き御朱印を貼らないで別保管していると、手持ちの朱印帳が全く更新されない状態になり、なんだか寂しくもあります。
▼一の鳥居から90°右折して「ニノ鳥居」です。この写真は2018年撮影のもの。
▼屋根の新しさが見て取れる拝殿です。
▼社殿前の一対の狛犬は1780年に建立され「夫婦狛犬」と名付けられています。
▲が雌、▼が雄で男性器も表現されています。
▼社殿は江戸時代の享保年間に再建されたものが改築、改修を施され現存です。
▼祭神の建速須佐鳴神(たけはやすさのをのかみ)と奇稲田姫神(くしなだひめのかみ)にご挨拶です。
▼装飾彫刻は江戸時代からのものなのかもしれません。
現代の再建でこのような彫刻を新たに意匠することは難しいはずです。
▼木鼻も彩色されていて勇ましさが倍増しています。
▼弩級の迫力です。
▼本殿は覆屋で守られています。
▼本殿は多くの彫刻が施されていますが、よく見えません。
▼他でもよく見かけるように中国の神話などが彫刻で説かれています。
▼説明板はあるものの、狭い隙間からでは思うように撮影できません。
▼社殿の右手奥に朱色の鳥居を構えた境内社。
▼稲荷社でした。
▼「龍ヶ崎稲荷大神」の扁額が掲げられています。
▼さらにその左奥。
▼内部は「猿田彦大神」でした。
なぜか猿田彦はこんな石碑のような形で祀られていることを多く見かけます。
きっと屋根のない露座で祀られることが多かったのでしょう。
▼三社の集合住宅の様子ですが、案内がなく神社名など不明でした。
▼今回の訪問も存在感たっぷりの御神木、ケヤキの大木です。
▼2018年の訪問では祭りのため開いていた臨時の授与所らしき建物。
▼八坂神社最初の参拝、2018年の記事。