成田山川越別院の御朱印
「なりたさん かわごえべついん」真言宗智山派(埼玉県川越市久保町9-2)
正式名称は「成田山 川越別院 本行院」。もちろん本山は「成田山 新勝寺」。
▼成田山川越別院の御朱印です(関東三十六不動 差替え/2012年)。
▼成田山川越別院の御朱印です(小江戸川越七福神/2014年)。
御朱印は本堂左手の「祈祷殿」でいただきました。
▼2022年の訪問時は直書きの2種類のほか、書置きが数種類用意されていました。
▼「弘法大師」の縁日にだけしかいただけない御朱印もあるようです。
▼オリジナル御朱印帳なども数種類揃っています。
特別御朱印などは twitter「成田山川越別院」で最新情報をチェックしましょう。
▼成田山川越別院は「喜多院」に隣接と言ったほうが分かりやすいでしょう。
▼「喜多院」を経て成田山川越別院へ進む方がほとんどでしょうが、北側方面から訪問するとこんなアーチが見えます。
▼アーチ下の寺の境内角に不動明王が建ち「みまもり不動」と名付けられています。
▼「せいたか童子」「こんがら童子」もひらがなで案内されています。
「制多迦童子」「矜羯羅童子」では、普通読めませんからでしょう。
▼正面「山門」です。
▼参道を進んで「手水舎」あたりから振り返った「山門」。
▼「手水舎」の裏は、確か鐘楼堂と不動明王像があったはずですが工事中。
▼工事中ではなかった以前の「不動明王像」と、北側にある門。
門は「裏門」ということになるのでしょう。
▼そして「鐘楼堂」です。
▼手水水盤はご覧の通り。
順序は逆で、さらに順不同ですが、本堂に参拝する前に諸堂を見ていきましょう。
▼弘法大師像が奉安されている「大師堂」。
▼広い土間になった向拝にゴールドの宝具「大五鈷杵」が置かれています。
▼「大師堂」をグルッと囲むように「四国霊場お砂踏」。
昨今、多くの寺で見られるようになった「お砂踏み」ですが、その造形は様々。
▼こちらは近代的な造りで八十八ヶ所各ご本尊がカラーで表現されていました。
▼「空海」も修行中の姿で近くに立ちます。
▼大師堂からひとつ奥の稲荷社は「開運出世稲荷大明神」と記されています。
▼神狐はスルドイ表情。
▼こちらは何という表情なのでしょうか?
▼「成田山新勝寺」の「荼枳尼天(だきにてん)」が招請されているそうです。
▼さらにその左隣に小さなお堂は・・・
▼「福寿殿」でした。
▼「小江戸川越七福神」の「恵比須天」が祀られていますが「大黒天」もいらっしゃいました。
▼さらに白い建物が続きます。
▼開祖「石川照温師像」が祀られている「開山堂」です。
▼最後に「本堂」です。
当院は嘉永年間、開祖 石川照温が1853年に廃寺になっていた川越久保町の本行院の再興をもって創建とされています。
その後、明治にはいって本堂が建立され「成田山 川越別院」という、成田山としては最初の別院となっています。
東京の別院は「深川不動」で、北は札幌から始まり横浜、名古屋、大阪などに主な別院があります。
どの別院でも、不動明王の御前で行われる独特の「お護摩」の響きが聞こえてくるのでしょう。
炎と読経と大太鼓の大音響に、半ばトランス状態へ導かれる「お護摩」です。
たとえ不信心であっても一度は体験してみる価値ありの「お護摩」です。
そこから何かの変化を体験できるかもしれません。
当院には「水掛不動」「亀の池」が本堂右手奥にあります。
今回の記事では紹介しきれませんでしたので、
このエリアの紹介は、また次の機会を待とうと思います。