書置きを含めて4種類ある中から、直書きいただける月替わりになる8月の御朱印を1体だけいただきました。
御朱印は10年若返ったようにカラフルでした。
もちろんスタンダードな墨朱だけの神社印もいただけますが、
下の7年前の御朱印と比較すると墨書き朱印共にすべて一新されています。
記事タイトルは、東京でも多くある「諏訪神社」を他と区別するため
「新宿 諏訪神社」と記していますが、
2013年の御朱印には「東京諏訪森鎮座」というスタンプがありました。
「諏訪森」という美しい表現は無くすには惜しい文字です。
▼2013年は窓口に御朱印の案内などなく、社務所の奥の玄関に入って御朱印をお願いしました。女性に丁寧な対応をいただいたことを覚えています。
▼2020年は授与窓口に御朱印4種、朱印帳2種の案内が出ていました。
もちろん2020年の授与所窓口でも
「おまちください。記入してまいります」と御朱印対応も同じように丁寧でしたが、
受付女性は20年ほど若返っていました。
若返ることができないのは訪問者だけかもしれません。
ちょっと妬むような、羨ましいやら・・・。
それは諏訪神社に限らず、昨今の寺社全てに言えることでもあるようですが・・。
8月の36°Cの境内にミストが放たれていました。
気持ち良くミストを浴びても若返りはムリのようでした。
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▼神社の名称は新宿諏訪神社ですが、最寄駅は「高田馬場駅」です。
▼2013年参拝時の写真4枚を掲載します。
▼2020年の再訪、諏訪の森は大きく変わっていません。
▼神社前の道路は「諏訪通り」。神社があっての名称でしょう。
この先の坂道を上がって、明治通りを横断し、また降る道を進むと有名な一陽来復の「穴八幡」があります。
▼反対側は当然下り坂。
▼「穴八幡」には、ほぼ毎年のように12月に参拝しているのに、そこから1kmも離れていないこの諏訪神社は7年振りの訪問です。
寺社を訪問して神仏に多くの願いをしないものの「穴八幡」の「一陽来復」守りだけは唯一欠かさずいただいてくるのです。
ただ一つの願い事のような、欲のような「一陽来復」守りですが、
「穴八幡」への参拝は「クセ」であり「オソレ」なのです、きっと・・・。
手水舎の水は何百年前から湧き出ている霊水だそうです。
完成された境内は変化するることもなく、変える必要もないのかもしれません。
▼立て札は「乗入禁止」の文字だけ目立ちますが、車で来てもビビらないで通りから乗り入れましょう。参拝者はOKで、左手に駐車場があります。
▼二の鳥居の前後に新旧二対のコマ。手前は若返ったような獅子。
▼二の鳥居の奥は若返りを譲った獅子。でもアンチエイジングな笑顔。
少し古くなった美容院のオネェさんとか、スナックのママさんのような若々しさです。
もっとも「若々しい」という表現は、若さを否定しているのでしょうが・・・。
▼宙に浮いているような社殿は変わりありません。
それほど小さい社殿ではないものの、コンパクトさを感じさせられるのは社殿の左右にに続く建物がないのと、社殿バックに森がないせいでしょう。
社殿は1980年の再建です。菊の紋があります。
創建は810〜820年と伝わるので、平安時代初期創建の歴史ある神社です。
祭神は武御名方命(たけみなかたのみこと)、大国主命(おおくにぬしのみこと)、事代主命(ことしろぬしのみこと)。
▼コンクリート製の校倉造は神輿庫。
▼神楽殿もコンクリート製。何度も火災にあっているため止むを得ない造りでしょう。
▼「お稲荷さん」と呼ばれる稲荷社。
▼刻まれている文字は全部を読み取れませんが、古そうな庚申塚。
▼塞神三柱の塔(さえのかみみはしら)は、村の境や峠に祀られた守護神だそうです。
1682年に造立された大変貴重なものだとか。
▼2つの幹が仲良く寄り添った大木。
▼御神木は「夫婦楠(相性楠)」と案内されています。
歌人の在原業平夫婦が道に迷い離れ離れになって、お互いやむなく寝て夜明けを待つと二人は近くにいて再会したのがこの諏訪神社であったという言い伝えがあるそうです。
東京都神社庁のHPからの抜粋です。
小野篁朝臣の祭祀と伝わり、源頼義、義家父子や頼朝等源氏武将の信仰も厚く、江戸時代には徳川歴代将軍の崇敬を受け、また人皇第108代後水尾天皇より御神体の御奉納を受けた。
▼「明治天皇射的砲術天覧所阯」
明治期に神社前に「諏訪の森近衛射的場」があったそうです。
▼境外を覗き見ても何の痕跡も見当たらないのは当たり前でしょう。
神社周辺は大きく姿を変えても諏訪ノ森は変わらず人々を迎えます。