太平山 連祥院 六角堂の御朱印
「れんしょういん ろっかくどう」天台宗(栃木県栃木市平井町643)
▼連祥院「六角堂」の御朱印です。
墨書きは「虚空蔵尊」「六角堂」です。
サラ、サラーと驚く速さで揮毫いただきました。
筆文字の基本を身につけている人は、行書や草書も崩れることなく筆を運ぶことができるのでしょう。
毎度のことですが、ボールペン文字もマトモに書くことのできない身には溜息ばかりです。
▼六角堂は太平山公園の麓というか、太平山神社へと続く長い坂の途中にあります。
▼車ですと「太平山遊覧道路」の終点で「太平山公園線」に繋がる地点に太平山神社の石鳥居があります。
▼鳥居をくぐると「六角堂」が左手に見えました。
「六角堂」は大平山 連祥院の別称です。
京都市中京区にある西国三十三観音第十八番札所「頂法寺 六角堂」を模して建立されているため「六角堂」と呼ばれています。
京都の六角堂は賑やかな街中にありますが、栃木の六角堂は緑豊かで風光明媚な山懐に建ちます。
827年、慈覚大師円仁により創建され、江戸時代までは太平山神社の別当を務めていました。
▼当時の大宗教霊地「太平山」が絵図になっています。(▼写真は「太平山 六角堂」から拝借)
「野州太平山之圖」は線画で描かれていて分かりづらいですが、
山上の「太平大権現」から山の麓まで石段が続き、途中多くの堂宇が描かれています。
まさに一山が霊場だったことが理解できます。
石段途中の仁王門の左に「別當所」と書かれているのが連祥院だったのでしょう。
創建から約700年後の天正年間には戦火により堂宇が失われたものの、その後しっかり再建されています。
しかし、さらに時代を下って明治になると神仏分離令により、太平山の仏閣、寺院、別当所は廃棄され、他の多くの寺院と同じ運命を辿ることになります。
しかし、太平山の本地仏「虚空蔵菩薩」は難を逃れ、現在も連祥院の秘仏として安置されています。
明治期後半には、二度にわたり新たな本堂が建立され、改修を加えながら現存されています。
堂内には秘仏の虚空蔵菩薩のほか愛染明王、不動明王が安置されているそうです。
ところで「虚空蔵菩薩」は
他の観音菩薩や地蔵菩薩と違って具体的なイメージが描きにくい菩薩です。
東日本で有名な虚空蔵菩薩は
福島の「柳津虚空藏尊」、茨城の「村松山 虚空蔵堂」などがありますが、
どこも秘仏なのか、具体的に見る事ができないせいで菩薩像をイメージできませんので、
▼連祥院 六角堂のHPからお借りした菩薩像です。
お借りした写真ではありますが、これは「御前立 」。
「お前たち」ではありません!「おまえだち」です。
▼そしてこちらは「東大寺」大仏脇侍の虚空蔵菩薩。 (▼写真はwiki「虚空蔵菩薩」)
六角堂の虚空蔵と東大寺のそれに明確な共通点は見つかりません。
やはり虚空蔵菩薩の像容は様々で、これという決定的なキーはないようです。
鎌倉大仏に「かまくらや みほとけなれど釈迦牟尼は美男におわす夏木立かな」という
与謝野晶子の歌碑がありますが、鎌倉大仏は釈迦ではなく阿弥陀如来です。
与謝野晶子は見誤ったのか、聞き違えたのか、あるいは故意だったのか分かりません。
見分けのつきにくい虚空蔵菩薩像ですが、一般的に多い姿が
「五仏宝冠をかぶり、右手に利剣、左手に如意宝珠を持つ」のだそうです。
同じく剣を持つ像に文殊菩薩があります。
やはり仏像を見分けるのは簡単ではなさそうです。
▼太平山神社と、お隣り的位置にある太山寺の記事。