もちろん頂法寺は「六角堂」の通称の方が一般的な呼び名となっています。
京都ですので「六角さん」と親しまれています。
そもそも京都の人が寺社名を正式な名称で呼ぶことがあるのでしょうか。
「八坂さん」「北野さん」「お稲荷さん」などと神社はほとんど「さん付け」。
でも寺に「さん付け」はあまりしないようです。例外的に「お東さん」「お西さん」「弘法さん」などが「さん付け」されています。
もっとも京都人は自分に用がある寺以外にはあまり行かないそうです。菩提寺などは「お寺さん」ですべて通してしまうようです。
「お日さん」「お豆さん」「おくどさん」・・・何でもさん付けです。
毎朝は「おはようさん」で、関東人にしてみたら何とも悠長で羨ましく聞こえる柔らかな言葉です。
▼そんな「六角さん」の西国十八番の御詠歌さんです。
訪問時の御朱印は「西国三十三所」と「洛陽三十三所」の2種類しかありませんでしたが、現在は他にも複数の御朱印がいただけるようです。
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三条駅から歩きました。
▼木造の三条大橋と河原はノドカです。東海道五十三次の西の起点でもあり、弥次喜多像、池田屋事件関連で傷ついた擬宝珠など観光要素たっぷりで、京都の橋の中で「五条大橋」と並んで人気の橋なのでしょう。
しかし400年以上前、上の写真の河原では秀吉の甥 秀次の一族39人が公開処刑され、鴨川の流れが真っ赤に染まりました。
近藤勇が塩漬けされた首が晒し首にされたのは、まだ150年ほど前のこと。
今ではそんな河原をカップルが散策し、河原に腰掛けていますが、京都人には何でもない場所なのでしょうか?
▼そんな時代の流れをすべて見てきた石柱。秀吉が架橋した当時の石柱でしょうか「天正十七年」の日付が刻まれていました。
▼三条大橋から西に進み、三条名店街のアーケードを過ぎたあたりからの三条通りは好きな通りです。一通の車は通りますが、そんなに交通量は多くなく、程よい道幅に程よく古い店舗が点在しています。
▼しかし池田屋事件ならず、こんな事件も起こっている店舗がある通りです。
ノンベェーが喜びそうな事件と通りのようです。
▼三条通りをキョロキョロしながら歩くうちに「六角堂」山門にたどり着きます。ここは京都のほぼ中心ですし、札所でもありますので寺は参拝者が絶えません。
▼新旧多くの千社札にこの寺の歴史を感じますが、寺の創建は聖徳太子と伝わりますので時代はかなり遡ります。奈良の斑鳩、明日香の寺を中心とした「聖徳太子建立七大寺」というのがありますが、それ以外にも聖徳太子ゆかりの寺院は数え切れません。事実としての歴史も、ストーリーの言い伝えとしても、千年続く寺に聖徳太子は欠かせないのです。大きな香炉に線香を灯して本堂にお参りします。
本堂も千社札がベタベタと埋められています。ところで寺名「頂法寺」の「頂法」が意味不明です。
単に「仏法」の「頂き」と読んだらオロカ者でしょうか?「仏法」の「頂き」だとしても意味不明です。頂法の意味を追求するのはやめましょう! 六角堂なら意味は分かりやすい話です。
▼本尊は秘仏の如意輪観音ですが、金網越しに収まった観音様はお前立でしょうか。
▼ここには西国の観音さまが集まっていました。「全員集合」でした。左端では御朱印を揮毫していただいています。
▼聞きそびれましたが、上の写真に気になる札。「一万燈」「五十万燈」て何でしょう?
寺の管理者でもあり、きっと色々なモノが集まる「池坊さん」に聞いてみないと分かりませんね。
さらに本堂の周りをグルグル歩いて回っても「六角」は体感できませんので、スタバがある隣のWEST18ビルのEVに乗ります。
▼EVが上昇すると三角分が見えました。まだ二分の一です。
▼何階か忘れましたが最上階でやっと「六角」を目で確かめられ納得できました。エレベーターは最上階で降りず、上下しただけでアッという間でした。
「六角」を確認できたのは「アッという間」でしたが、弥勒菩薩がこの世を救いに現れるのは5,670,000,000年後ですので、現在のこの寺の歴史も「アッという間」どころか、毎日1μ しか進まないような「アっ」と言う、その手前1,000kmくらいの時の出来事でしょうか。
やはり「仏教は宇宙だ」と感じさせられた頂法寺でした。