高津山 報恩院の御朱印
「ほうおんいん」真言宗醍醐派(大阪市中央区高津1-2-28)
(▲右の画像は報恩院由緒書きより引用)
▼報恩院の御朱印です。
指定なしでお願いしたら本尊の「近畿第五番 北向不動尊」の御朱印になりました。
報恩院はこのほか「おおさか十三仏」「摂津国八十八ヶ所」の札所になっていますので、当然そちらの御朱印もいただけるのでしょう。
▼心斎橋のホテルから「法善寺」、さらに1km歩いて「報恩院」門前に着きました。
▼実はこの寺も参拝予定していた訳ではありません。
「高津宮」を目指して鳥居に着いたら真向かいに寺があったので訪問してみたのです。
札所の案内が出ていますので、こういう寺は安心して御朱印をいただけるはずです。
▼外から見えていたのですが、石段を上がると正面に不動明王像が迎えてくれました。
▼法善寺と同じようにこちらの不動明王像も露天に立ち、その手前が屋根と柱だけのお堂のような形をしていました。
寺は江戸時代初期、良遍が現世利益の不動明王信仰の世相にあった「北向不動明王」を建立したのが始まりだそうです。
ご多分にもれず報恩院も大阪大空襲で灰燼に帰していて、不動明王像のみが焼け残ったそうです。
大阪大空襲は1945年3月から8月14日の終戦日まで
断続的に8回ほどの大空襲が繰り返され、大阪市の中心部は壊滅、
1万人以上の死者が出たと言われていますので、
今回寺社巡りしてきた北区、中央区も被害に遭っている訳です。
▼そんななかで焼け残った「北向きのお不動さん」でしょうか?
素朴な造りの不動明王像ですが、
これまで目にした「制吒迦童子」とは、ちょっと違う容姿をしていました。
▼不動明王像前では毎月1日に護摩祈祷が行われるそうです。(▼写真は「報恩院FB」)
東京・深川不動で大迫力の般若心経が唱えられる護摩祈祷が思い起こさせられます。
▼北向不動尊から巨木を背にして、真裏にも不動三尊像。
こちらはさらに素朴な容姿の不動明王像ですが、
北向きの真裏に建つので「南向きのお不動さん」なのでしょうか?
いやそんな事はなく、単に古い「北向き」さんなのでしょう。
▼不動明王像が背にする古木「相生の樟(くす)」は、不動像建立と同時期に植えられ他と伝わり、戦前までは鬱蒼としていたそうです。
やはり大空襲で焼き枯れてしまったのでしょうか?
太い幹だけが、支えられてやっとこさ立っているような「くすのき」でした。
▼「本堂」は中央が「不動明王」、左右に「鎮宅霊符尊」「弘法大師」の扁額。
「鎮宅霊符尊(ちんたくれいふそん)」は、簡単に言えば北辰妙見菩薩?
年初め辰の日には「初辰(はったつ)」さんと呼ばれ、商売発達を祈願する参拝者が多いそうです。
本堂に棟続きの
▼「真如閣」は「おおさか十三佛」の「阿閦如来(あしゅく)」が祀られています。
「阿閦如来」は「金剛界五智如来」と言われる五仏に数えられます。
▼「役行者」さんもいらっしゃいましたので「南無神変大菩薩!」。
ミナミの繁華街には居酒屋の「鉄板神社」が鎮座してましたが、
▼こちらは「鉄焼地蔵尊」。
焼火箸を当てられた女の身代りになった地蔵尊とか。
▼「秋葉大権現」もいらして火防担当!
▼「マニ車」がありました。ガラン、ガランと回せばお経を1巻ずつ回したことに・・。
ネパールから「おおさか十三仏」の各寺院に送られたものだそうです。
▼境内にサクランボのような実をつけた木が・・。おそらく、さくらんぼ!?
一つ摘んで口に入れてみれば、何の実かわかったかもしれません。
苔むした法善寺の「水掛不動」から、不動続きの「北向き」さんも、
前日の雨に濡れた像を乾かすかのように、明るい陽光の中で輝いていました。