日枝神社・水天宮の御朱印
「ひえ じんじゃ すいてんぐう」
主祭神:日枝神社=大山咋神・水天宮=安徳天皇(東京都清瀬市中清戸2-616)
同じ境内に二社が鎮座するので、御朱印も仲良く二社の神社名が並んでいます。
境内も右が日枝神社、左に水天宮が鎮座し、御朱印の並びと同じ。
一般的にはどちらかが境内社とされることが多いのですが、こちらでは同等扱いです。
だとしたら、通常は別々の御朱印になったり、見開きの御朱印になったりしますが、
当社はシングルページに納まっています。
このパターンは他の神社にあったかどうか思い出せません。
7年間のブランクですが、御朱印に変化はありません。
神社印も同じで、経年変化で線が太くなったのかもしれません。
もちろん2015年、初穂料300円の御朱印は、2022年には500円です。
▼御朱印は拝殿手前の授与所でいただきました。
▼当社へは「清瀬駅」北口から徒歩約12分。同駅からバスも運行されています。
神社の前の通りはけやき並木が気持ちの良い「志木街道」。
▼神社前の交差点名は「水天宮前」となっています。
▼志木方面から社頭を過ぎて直ぐの交差点を右折すれば広い専用駐車場があります。
▼社頭と道路を挟んだ反対側に無人の野菜売り場。東京で獲れた野菜です。
都下でも奥多摩方面にやってくると時々見かけられる、こうした無人の直売は何故かほのぼのとした気持ちにさせられます。
写真撮影に一生懸命で、野菜を吟味するのを忘れました。左上の唐辛子100円を買ってくるべきでしたが、あとのまつり!
▼さて神社は「志木街道」に面して3つの鳥居が建ちます。
▼手前から向かって左は「御嶽神社」。
▼真ん中が「水天宮」。
▼右端が「日枝神社」です。
▼大雑把に整理すると境内はこんな図式になっていて仕切りはありません。
▼まずは山王鳥居が建つ「日枝神社」の参道を進みましょう。
▼「三清戸」とは江戸時代までのこの地域の上清戸村、中清戸村、下清戸村を表しています。
当社には東征の折の日本武尊が「清き土なり」と言い残したと伝承されています。
そこからこの地は「清土」と呼ばれ、やがて「清戸」と変化しています。
「清瀬市」の地名は「清戸」と、市内を流れる「柳瀬川」から一字ずつ取って名付けれたそうです。
▼石灯篭がたくさん並ぶ参道を進むと「三猿の石燈籠」が保存されています。
▼見ざる、言わざる、聞かざるの三猿が灯篭の足元に彫られています。
山王の神の使いは健気にも300年以上の雨風に耐え抜いてきたようです。
▼こちらは三猿ほど古くはありません。
▼親獅子の大きな手が子獅子をひれ伏させているかのような姿の彫りは緻密です。
▼左手に「手水舎」。柄杓はありませんが水は豊富に出ています。
▼華麗な堂々とした社殿です。
日枝神社の由緒では創建は1579年、天正年間と言われてます。
拝殿はコンクリート製に見えますので昭和の再建でしょう。
▼次は左隣の「水天宮」の鳥居まで戻って参道を進んでみます。
▼日枝神社と同じ長さの参道がまっすぐ延びています。
清められてシンプルな参道は王道のような姿で感動します。
▼途中、境内西側の駐車場から入る鳥居と車祓所が見えます。
▼西側から古そうな鳥居をくぐってみます。
▼「弘化四年」の文字が刻まれています。1848年です。
▼「手水舎」は日枝神社と共通になっています。
▼水天宮拝殿前にも新し目の狛犬。こちらも彫りが深い。
当社は久留米市の水天宮御本社より分霊を勧請していますが、創建などの詳細は不明。
▼木造の水天宮の拝殿は気品があり、朱色の日枝神社とは違う趣があります。
8歳の幼さにして壇ノ浦に沈んだ安徳天皇は、多くの水天宮で子供の神、水難除けの神として祀られていますが、当社では主祭神として祀られています。
▼水天宮の参道左手には「御霊社」を始め、いくつかの境内社が並びます。
「御霊社」の右隣に日本武尊が休んだと伝わる柊(ひいらぎ)は、昭和の初めに枯れてしまったそうです。そのガイド版と柊の「ひこばえ」があります。
▼手前から「白山社」。
▼「金刀比羅神社」。
▼「猿田彦大神」の碑。
▼さらにもう一度、志木街道の通りまで戻って3つ目の参道は「御嶽神社」に延びます。
木曽御嶽山より慶長年間に分霊を勧請されたと伝わります。
▼昔から「御岳山」と呼ばれ、地元の人々の篤い崇敬を集めているそうです。
この景色は当社一番の感動的な眺めでした。
▼元の形をとどめない古い手水鉢のようです。
▼狛犬も色からして古そう。200年、300年は経過しているのかもしれません。
▼ほぼ満身創痍的な姿は痛々しいけど可愛い。
▼山上の社の祭神は「国常立神」ほか二柱の神が祀られています。
▼「御岳山」から地上の眺めです。
三つの参道と三つの神社のなかで一番印象に残った「御嶽神社」でした。
山の麓には「御嶽」の他に「富士山」の文字や庚申塔も見かけられました。
三社のあちらこちらで歴史を感じさせられた「日枝神社 水天宮」でした。