小村井香取神社の御朱印
「おむらい かとり じんじゃ」主祭神:經津主大神(東京都墨田区文花2-5-8)
2種類の書置きの内容は朱印、墨書きは同じで、左の御朱印には梅の花のシールが貼られていました。
印も墨書き読みの難しいものはありません。
「小村井」は「こむらい」と読みたくなりますが「おむらい」です。
「梅まつり」期間以外に訪問した時は、ピンポンの反応がなく御朱印はいただけませんでしたので、普段日に参拝して御朱印をいただきたい場合は確認が必要でしょう。
神社の住所表記は「文花(ぶんか)」で「小村井」は旧地名でしょう。
「小村井」は、室町時代の文献によると「入江に面した小さな村」という意味から「小村江」と呼ばれていたそうです。
現住所の「文花」は文教施設が多いことから「文」、
吾嬬神社の祭神弟橘媛(おとたちばなひめ)から「花」をとり
「文花」とされたそうです。
その吾嬬神社が鎮座する「立花(たちばな)」の地名も弟橘媛に由来するそうです。
▼そしてこの地域には「花王」の大きな事業所があります。
「アタック」「ニベア」など、社名より商品名の認知度が高い企業です。
「文花」「立花」地域に「花王」ですから、企業名はこの地域との繋がりがあるのかと思っていましたが、
もとは創業当時の商品「顔石鹸」が始まりで「顔」から「花王」へと移ったようです。
「花」の文字が続く当社鎮座地域ですが、
▼小村井香取神社は「梅花」で有名でもあります。
▼門柱には「皇國」と「鎮護」の文字が彫られています。
ほかの氏子神社と同様、普段は参拝者もまばらでヒッソリとしていますが、
毎年2月下旬から3月初旬に開催される「梅まつり」の期間中は、ご覧のように大勢の訪問客で賑わいます。
鳥居に近づけば梅の香りが漂ってワクワクとした気分にさせられます。
とは言え、梅の木の本数的には規模は小さく、湯島天神のような知名度もないので、
休日でも混雑具合は程よいものとなります。
▼神社の西と東にも入口があり鳥居がたちますが、双方とも静かです。
▼門柱の「花王石鹸」の文字は、他にもたくさん見かけられます。Kaoも氏子です。
▼正面鳥居に戻りましょう
▼当社は平安時代末期に千葉県香取郡から人々が移住し、香取神宮の分霊を氏神として祀ったのがはじまりだそうです。
▼「梅まつり」も30回目の開催になります。
▼鳥居をくぐると「大日本武将祖神」と彫られた石柱。
古い社号標? わかりません。
祭神の経津主神は武神でもあるので祭神を示しているのでしょう。
▼境内に入っても撮影すべく梅の木の下に人々が群がっています。
▼人々を横目に、梅花も後にして参道を進みます。
▼ニノ鳥居手前に手水舎がありますが、水は休止中。
▼ニノ鳥居先の木の根元にある石造のオブジェは正体不明ですが・・・
▼獅子の顔が確認されます。「kao」です。
▼梅が咲き始めた2月23日の祝日は手を合わせる人が大勢。
▼その参拝客を迎える狛犬の目は特徴です。明治頃の建立?
▼社殿は戦後の1954年の再建です。
祭神 經津主大神(ふつぬしのおおかみ)にご挨拶。
▼社殿から境内を振り返るとピンクの梅の花が小山を築いています。
▼きれいに維持されている木造の本殿はクキッと立ち上がっています。
▼社殿左手に別な参道が伸びているので進んでみましょう。
▼禊盥です。かつては本殿前で主役を演じていたそうです。
▼「諏訪神社」でした。
▼境内社ながら本殿を備えていました。
▼社殿裏手は神輿庫が並びます。
▼社殿右手奥には「三峯神社」。
秩父から勧請されたのでしょう。
▼その手前に「天祖神社」など4社の合殿となっています。
▼さて、人々が群がる梅見に紛れ込んでみましょう。
▼「香梅園」は、かつて江戸の名所だった広大な「小村井梅園」を再現したものですが、その規模は比べ物にならないのでしょう。
それでも境内を含めて85種、120本の梅木が植えられ平成に開園されました。
梅園としては比較的新しく、また穴場的な存在でしょう。
梅も品種が多く全く見分けはつきません。
▼珍しい品種名も見られます。
梅の木は奈良時代にはすでに栽培されていて、江戸時代に盛んに改良がされ、現在では300種類以上の品種が存在しているそうです。
▼枝垂れ梅は賑やかです。
梅の花はポツンと咲くイメージを持ちますが、やはり花を多くつける品種に目がいってしまいます。
▼しばし、賑やかな梅の木を観賞です。
梅まつりの期間中は神社というよりは「香梅園」が主役のようです。
梅の花自体はもう少し先まで楽しめると思いますが、2023年の「梅まつり」は3月5日までとなっています。