絵葉書もいただきました。
書置きでしたが、宮司さんの丁寧な対応で日付を入れていただきました。
プリントや印刷でなくきっちり墨書き・朱印されたものでした。
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▼隅田川神社は東武伊勢崎線「鐘ヶ淵駅」から500m強の位置に一之鳥居が建ちます。
浅草名所七福神の寿老人を祀る「石浜神社」からですと1kmほどの距離になります。
▼約160年前、広重が「隅田川水神の森真崎」を描いています。(名所江戸百景)
「水神」は現在の隅田川神社のことで絵の右下に社が描かれています。
江戸の外れですので何とものんびりした風景で、中央の奥は筑波山。
ほぼ独立峰に近い筑波山は、富士山とともに名所江戸百景に度々描かれています。
この頃の隅田川は絵の画面中央が河口で、手前は江戸湾の入江となっていたので、現在より河幅ももっと広いイメージで描かれています。
▼現在は隅田川と平行する「墨堤通り」に一之鳥居が立ち、集合住宅の間に参道がのびています。
アパートを抜けると「水神の森」は都市開発により「東白鬚公園」と名前も姿も変えています。
隅田川沿いに長く広がる公園とアパート群は防火・防災の役目も担っているようです。
そのせいか公園には「纏い」のモニュメントも立ちます。
▼公園を抜けると二之鳥居と駐車場が見えます。
当社裏の隅田川と平行する首都高向島線の高架がうるさくジャマします。
▼二之鳥居から直角に左に進むと三之鳥居が見えます。
▼同じ位置の2014年4月は、まだ桜が残り咲いていました。
広重も百景で桜をアップして描いています。
現在も神社と隣接する公園には桜の木がたくさんあり、毎年「さくら堤通り花まつり」が開催されるそうですが、2021年は少なくとも「まつり」の文字はないでしょう。
▼三之鳥居を今度は右に直角に折れると社殿です。
都心部ですと社殿や本堂のバックが高層ビルだったりして馴染んでいたりしますが、ここは高速道路の高架です。
何とも馴染めず、ジャマで残念な景色となってしまっています。
中央区に架かる「日本橋」と同じく、何とかしたい高速の高架です。
ジャンクションなどで高架が複雑に輪を描くなど、絵になる光景もありますが・・。
▼社殿前に一対の「狛犬」ならぬ「狛亀」が並びます。
神社の創建は不詳ですが、
1180年、頼朝が平氏との戦いの折、隅田川を無事渡河できたことにより水神社の社殿を造修したと伝わり、
かつては単に「水神さん」「水神社」と呼ばれ、隅田川一帯の総鎮守でした。
言い伝えでは神代の時代、亀に乗った祭神がこの地の浮洲に鎮座したそうで、
「水神」を招いたのは「神亀」であり、「水神」を守るのも獅子や犬ではなく「神亀」なのでしょう。
▼社殿は江戸時代に建てられたものが何度も改修を繰り返されているそうです。
祭神は速秋津日子神・速秋津比賣神・鳥之石楠船神・大楫木戸姫神。
屋根瓦と軒下、賽銭箱も「水」です。
▼金文字の大きな奉納額は「昭和」の文字が読み取れました。
奉納者とともに隅田、鐘ヶ淵、千住、入谷、吾妻などの地名が記されているので、地域の人たちに広く崇敬されていたことが見て取れます。
▼境内右手に三才稲荷神社、若宮八幡神社はじめ、境内社がいくつか並びます。
▼右の祠には「亀」がいらっしゃいます。
▼境内や駐車場周辺にはたくさんの石碑が立ちます。
▼一際大きな石碑は「吟香岸田翁碑」。画家の岸田劉生の父親だそうです。
明治時代の新聞記者、実業家、教育家だった岸田 吟香(きしだ ぎんこう)は 、
「卵かけご飯」が大好きだったそうです。
仰々しい石碑の主が「卵かけご飯」が好きだったという話にホッとさせられますが、
ロケーショ故に参拝者の少ない隅田川神社境内もホッとさせられます。
それほど広い境内ではありませんが、ほかにも見所の多い神社です。
▼すぐお隣の「木母寺」の記事。