尾曳稲荷神社の御朱印
「おびき いなり じんじゃ」主祭神:倉稲魂命(群馬県館林市尾曳町10-1)
▼尾曳稲荷神社の御朱印です。
右側の筆書きに「尾曳城趾」とありますが「館林城」の別名です。
もちろん「尾曳城」は当社と大きな関係があり、
神社は尾曳城内の「稲荷郭鎮座」というわけです。
どの街にも七福神があります。
つつじの館林七福神は「館林名所七所(などころななしょ)」として
「茂林寺」をはじめ「雷電神社」など、1月末日までを期間とされ、
総距離約24kmの城下町をめぐる七福神です。
▼尾曳稲荷神社は「城沼」の沼辺りに鎮座します。
▼「城沼」の写真は(wiki 館林城)からお借りしました。
「城沼」の「城」はもちろん「尾曳城(館林城)」の事でしょう。
▼その沼のほとりには有名な「つつじが岡公園」もあります。
(▲写真は「グッグッとぐんま」)
東京の「塩船観音」を思い起こさせるようなツツジの写真ですが、
記事はじめからwikiなどで借りた写真ばかりで恐縮です。
しかし、こんな風光明媚な地に鎮座する尾曳稲荷神社です。
館林の街は城下町ですので、御朱印対応の有無は別としても多くの社寺がありま、
「尾曳稲荷神社」もその代表的な神社と言えます。
▼「一ノ鳥居」先の参道は朱色の鳥居が連なっています。
▼雪の日にはこんな様子になるそうです。(▼写真は「尾曳稲荷神社」から拝借)
またしてもお借りした写真ですが、神社や寺院はどうして雪景色が似合うのでしょ?
社寺のイメージを一変してしまう雪は、花嫁の白無垢姿と同じように
穢れも何もかも覆い隠してしまうからかもしれません。
となれば社寺に限ったことではありませんが・・。
さて「尾曳稲荷」稲荷とはちょっと珍しい名称です。
「尾曳稲荷」と「尾曳城」の言い伝えは1528年に始まります。
子供たちに捕らえられ、いじめられていた子狐を近隣の大袋城主が救いました。
その恩返しに狐は「築城すれば天下の名城になる」と伝え、
自らの尾を曳いて城の郭、いわゆる城の地割り・設計図を描きました。
その図から築かれた城が「尾曳城(館林城)」です。
大袋城主照光は恩に報いるため、
その「尾曳城」内に稲荷郭を設け、社殿を造営して当神社を設けたのが神社の始まりとされています。
素晴らしく良くできた話です。
人間に救われた動物たちは、様々な形でその恩に報います。
しかし、自分の尾っぽで後に名城となる城の設計図を書く狐は
タマげたもので、まさに狐に化かされたような、童話にもなるようなイイ話です。
現代においては、こんな伝説が残るような出来事は起こらないでしょう。
「日本昔ばなし」のひとつとしても成り立つかもしれません。
ちなみに狐は、尾っぽで設計図を引くのに
「宵から夜明け」までかかったのでしょうか?
尾を曳き終えた加法師あたりに「夜明稲荷神社」を鎮座させたと伝わり、どちらも現存しています。