小網神社の御朱印
「こあみ じんじゃ」主祭神:倉稲魂神(東京都中央区日本橋小網町16-23)
「強運厄除」の印が押されています。
2012年の御朱印に「強運厄除」の印はありません。
日本橋七福神「福禄寿」の御朱印も13年と22年では大きく異なっています。
「満福舟乗辨財天」や「満福辨財天」の印が押されています。
元々は当社のはじまりである「萬福寿寺」に安置されていた弁財天です。
▼御朱印はコロナ禍に入ってから2022年までは全て書置きになっています。
▼「まゆ玉」「金運」「開運」などのみくじも人気。
▼地下鉄「人形町」「水天宮」「茅場町」などの各駅から徒歩数分です。
▼当社の週末は、いつ訪れても警備員がいて参拝者の列ができています。
▼正月や大祭などになるともう大変です。
▼近隣のビルを取り巻いて行列は100mを下りません。
そもそも当社から半径500m以内には日本橋七福神の神社をはじめ、街角の小さな神社や稲荷社など数え切れないほど鎮座します。
そんな、中当社がいつの間にか他の神社を尻目に屈指の人気を誇っているのはなぜでしょう?
参拝者の数は普段の日の「水天宮」より多いかもしれません。
確かに「強運厄除」や「金運」をご利益としていますが、それらのご利益を謳う神社は周辺にも多数ありますが、極小の当社だけ常に行列です。
その変化はここ10年以内のものです。一体何がどうしたというのでしょうか?
▼しかし、さすが雨の夕方などでは行列の姿は消えます。
いずれにしてもこの人気はここ数年の事で口コミなどから広まったのでしょうか?
▼境内とも言えないような極狭いスペースに社殿や手水舎、福禄寿、弁財天などが箱庭のようにギュギュッと詰め込まれています。
▼左が「社務所」、右手が「神楽殿」という間に社殿があり、その手前が境内です。
当社の創建は不詳。約1000年前の平安時代と伝わり「満福寺」という寺が始まりです。
のちに霊験あらたかな稲荷大明神が祀られ「小網稲荷神社」となり、さらに戦後に現社名となっています。
▼「武蔵国 古社」の文字が入れられた提灯。
鎮座地住所の「小網町」も当社に因むものだそうです。
▼狛犬も昭和初期の造立です。
▼社殿と神楽殿は昭和4年建立のものが現存。向拝の彫刻も見事です。
「強運厄除」の神と称されるのは、稲荷大明神を祀ったことにより悪疫が治った事、
また大戦の際、出征兵士となった氏子たちが全員生還できた事、
さらには東京大空襲においても社殿などが戦火を免れたことなどなどが「強運」であり、「厄除け」にご利益ありとされています。
▼舟に乗った弁財天から流れる水で財運を授かれる「銭洗い」もできますが、現在は銭洗い用のザルが取り除かれています。
▼福禄寿は「福徳」「人徳」「財徳」などの「徳」をいただけるそうです。
というようなことで「強運」「厄除」「金運」「開運」などのご利益に特化していることが、この神社の人気につながっているのかもしれません。
とは言え、それらのご利益が他の神社と比べても特別なものではないように感じますが、その人気は衰えることがないようです。
当社では11月の「どぶろく祭」などはマスコミでも取り上げられるほど有名ですが、やはりコロナ禍では中止されていて残念なことです。
いつも長蛇の列ができる人気の理由が理解できたような、分からないような神社ですが、一つだけ確実なことは神社の人気をさらうのはSNSをうまく利用し、参拝者の脳を刺激するPRは必須なのでしょう。
もう一つ確かなことは消費者は飽きやすく、さらに常にニューカマーが控えていることかもしれません。