矢口氷川神社の御朱印
「やぐち ひかわ じんじゃ」主祭神:素盞嗚尊(東京都大田区矢口1-27-7)
▼御朱印は「新田神社」でいただきまます。
ブルーの大礼紙のような用紙に、日付以外すべてプリントの書置きでした。
▼氷川神社へは東急多摩川線「武蔵新田駅」徒歩5分か「矢口渡駅」徒歩10分。
駅から徒歩と言うより兼務社である有名な「新田神社」から200mもありません。
「矢口渡(やぐちのわたし)」駅は文字通り、
多摩川を渡り、東京と川崎を結ぶ渡船場があったことから名付けられています。
新田神社の記事でも新田義興が謀殺された「渡し場」として少し触れていますが、
▼時は降って明治、和田英作という画家が素晴らしい「渡頭の夕暮」を描いています。
(▲写真は「wiki 和田英作」から)
渡船場は現在の国道1号線が多摩川を渡る「多摩川大橋」ができた1949年頃まで利用されていたそうです。
和田の絵は渡し船は描かれていませんが、その船を待つような人の姿に明治期の人々の暮らしが垣間見えます。
「武蔵新田駅」は田舎のステーションのような駅舎ですが、東京23区内の駅です。
▼駅を降りて左に進むとレトロになりつつあるアーチをくぐります。
▼「ふれ愛」という少しこそばゆい文字の下を斜め左の賑やかな商店街へ進みます。
▼少し進むと今度のアーチは「未来門」。先に見える緑が「新田神社」です。
▼新田神社に参拝したら南方向にクランク状に進めば氷川神社です。
氷川神社の創建は定かでなく、社伝によれば800年以上前ということで、
新田神社の創建1358年より古い神社ということになります。
また「大宮氷川神社」を総本社とする「氷川信仰」の数々の「氷川神社」の多くは荒川流域沿い周辺に鎮座します。
矢口氷川神社は多摩川流域ということになり珍しく、「氷川神社」のうち最南端に鎮座する神社と言えるかもしれません。
境内敷地は広いのですが半分以上は公園として使用されていて遊具などが見られます。
一帯は住宅街で子供たちや親子連れの姿があり、地域の氏神さま、鎮守という雰囲気が漂っています。
▼4月10日の訪問でしたが、まだ桜の花が残っていました。
▼鳥居は参道途中に石造りのものが1基。
▼その先は石灯籠と狛犬がそれぞれ一対並んでいます。
▼社殿はお堂のように小さいながら美しい姿を見せてくれます。
▼狛犬はかなり年月を経てきた姿で、裏に回ったら江戸時代後期の奉納年が刻まれていました。
可愛らしい中で痛々しさも感じられるような部分もあります。
この地域から川崎方面は戦前から工場地帯で、東京の軍需工場の25%が大田区にあり、当然東京大空襲で狙われ焦土と化しています。
氷川神社も焼失され、社殿は戦後の再建されています。
軍需産業や軍事拠点だけをターゲットした空襲はその後、無差別な焼夷弾攻撃に変わっていきます。
10万人以上亡くなった東京大空襲は、国民や政府、軍に戦意喪失させるのに十分だったはずですが、
もっと大きな兵器が広島、長崎に落とされるまで戦争は続けられています。
戦後に再建の折は、そんな不幸な出来事が二度と起きないように、起こさないようにとの願い、誓いが社殿に込められたに違いありません。
▼境内が児童遊園に利用されているせいか、社殿はフェンスで守られています。
▼さらに頑丈そうなフェンスで守られているのは「三社稲荷」。まるで赤い要塞。
▼さすが要塞!内部は綺麗に保たれています。
児童遊園で遊ぶイタズラ盛りの子供たちから守られ狐たちも安心でしょう。
▼境内は初夏の兆しと子供たちのハシャぐ声が溢れていました。
さて、境内を出て新田神社に御朱印をいただきに戻ります。