海南神社の御朱印
「かいなん じんじゃ」(神奈川県三浦市三崎4-12-11)
「開運半島詣り」は三浦半島に鎮座の当社と森戸神社、西叶神社の三社を巡ります。
三社の御朱印やお守りが全て揃うと特典をいただけるという、春と秋に開催されているイベントは恒例になっているようです。
▼2022年現在、8種類の御朱印が用意されていました。プラス「開運半島詣り」ありでした。
▼社務所の奥には3〜4台駐められる駐車場があります。途中の道路は狭いです。
▼「三崎のマグロ」で誰もが知っている三浦半島の先端「三崎」に鎮座します。
▼三崎港バステがあるロータリーから、車で進入してくるには少し勇気がいります。
3、4台しか駐められない駐車場が満タンだと、狭く、多分Uターンするのも大変です。
▼上の写真とは逆に、神社側から港方面はごく緩やかな下り坂です。
▼9年ぶりの再訪ですが、社頭は変わっていません。
▼2013年の社頭。
▼「郷社 海南神社」の社号標。
▼鳥居脇の狛犬は笹の植栽により隠れるような姿になってしまっています。
▼笹の影から睨みを利かします。
▼「神橋」周辺は整備中の箇所もあってかゴチャゴチャしていました。
▼「神橋」を渡る前に左右を見ると奥まったところに「疱瘡神社」と「御霊神社」の二社が鎮座します。
「疱瘡神社」は頼朝・義経の叔父にあたる「源為朝」を祭神としています。
疱瘡が流行したとき為朝は患わず、疱瘡も恐れるほど強い人物として祀られています。
▼神橋を渡ると二対目の狛犬。
建立年は古そうな狛犬ですが目が淡い青。他で見た覚えもなくちょっと不気味。
▼「手水舎」は一見して複雑緻密な装飾彫刻が目に入ってきます。
龍神や獅子たちは晴れ舞台か、自分たちの縄張りかのように生き生きとしています。
清めてから参拝しましょう。
▼社殿は県の重要文化財になっていますが、造営年などは紹介がありません。
海際の神社らしく明るく、華やかに颯爽とした姿が感じられます。
爽快さは屋根の明るい色の軽快感が、それを感じさせてくれるのでしょう。
当社の創建年は古く866年、その後、当地に社殿が建立されたのは982年とされています。
1000年以上の歴史を持つ古社と言うことになります。
鈴尾が何本も束になっているのも珍しいかもしれません。
皇位継承争いにより左遷された藤原資盈(すけみつ)は、任地の筑紫国へ赴く途中で暴風によって三浦半島に漂着します。
その後、当地の長に推戴され、さらに房総の海賊を平定、福祉に努めたことから地元民に崇敬され、866年に資盈が没すると地元民は祠を建てて祀ったそうです。
祭神は藤原資盈のほか盈渡姫、地主大神、相殿には天照大御神、筌龍弁財天(三浦七福神)などが祀られています。
祭神の磐鹿六雁命(いわかむつかりのみこと)は食の神様、料理の神として、南房総の「高家神社」が有名です。
▼反対側には「金毘羅宮」の鳥居の先に石段が続いています。
▼石段を見つけたら「登る」のが本ブログの掟。
▼高い位置に新らしそうな社殿がポツンとしたイメージで鎮座していました。
大物主大神が祀られています。
▼拝殿、幣殿、本殿の屋根が眺められました。
再び下り、境内に戻ります。
▼港町でマグロの町でもあるので、オブジェも大きなマグのカマ、マグロの大神です。
▼つまみ用マグロではありません。みくじでした。
▼絵馬がたくさん掛けられている「神馬社」。
▼「神馬」はチョコンと顔を覗かせています。
▼朱の鳥居が連なっているのは稲荷社でしょう。
▼こちらはメインの「神狐」ですが・・・
▼いらっしゃいました! 稲荷社は脇役っぽく、忘れられたような小さな彼らが面白く、必ず探すようになりました。
▼もちろん奉納された狐たちもビッシリです。
大きなイチョウの御神木を守っています。
当社は土地柄、三浦一族や和田氏などの逸話がいくつも残りますが、
▼こちらは樹齢約800年の「頼朝手植えの大銀杏」。
どの巨木も近寄っての撮影では、何が何だか分かりません。
▼ニョッキリと何本も垂れ下がっている「乳根」はイチョウの乳房と理解しています。
▼龍の頭のように見える御神木が覆いかぶさるのは「龍神社」。
▼力石にも色々伝説があり、一番大きな石に刻まれている人名は持ち上げた人?
▼こちらは麻原彰晃? まさか! 失礼しました。高家神社の祭神でした。
当社は三崎のマグロに劣らず、味わいどころ、見どころタップリの楽しい神社です。
御朱印をいただくのにも
街のマグロ丼、海鮮丼の有名店ほど並びませんので、ぜひ訪問を!!