▼成田山 新宿不動堂 関東八十八ヶ所霊場 49番 2020年の御朱印です。
▼同じく、成田山 新宿不動堂 関東八十八ヶ所霊場 49番 2012年の御朱印。
いずれも本尊「不動尊」の御朱印で、12年は書置き、20年は対応の女性に直書きいただいたのですが、日付がありませんでした。2020年4月です。
「新宿」の読みは「にいじゅく」です。
▼成田山 新宿不動堂 新上総国三十三観音霊場 25番の御朱印。
▼御影と散華もいただきました。
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▼車で行く木更津方面というか、房総半島へは「東京湾アクアライン」のおかげでホント近くなりました。
と言っても開通してもう20年以上経過します。
それまでは千葉市経由で東京湾をグルッと回るような道をたどるか、
三浦半島の久里浜〜南房総の浜金谷を結ぶフェリーを利用する2つの選択肢しかありませんでした。
ところが便利になった「アクアライン」は当初通行料金が4000円もしました。
東京湾を横断するのに往復8000円でした。
カンタンに利用できる金額ではないので、当初はかなり不評をかいました。
その後やや値下げされたり、千葉県がその費用を一部負担することから
現在は片道800円に落ち着いています。
それでやっと、事実上の距離と、精神的な距離がともに近くなったのです。
おかげで週末夕方のアクアラインは、googlemap でのぞいて見ると
木更津から東京方面へのルートが、いつも真っ赤になっています。
便利になったのか、不便になったのか分からなくなってきます。
渋滞はバスでも客を送り込む木更津のアウトレットパークがある事も一因でしょう。
そんな木更津の町にある「成田山新宿不動堂」はJR内房線「木更津駅」から歩いても1km未満です。
▼2012年の夕方近くに訪問した時の不動堂です。
▼2020年の再訪です。総門に「成田山木更津新榮講本部」の看板が掲げられています。
江戸時代には「成田山詣」が盛んでした。
ここ木更津でも講が組まれ漁師や商人たちが成田山に向かっていたそうです。
全国に広くある「成田山」ですが、
大本山成田山新勝寺のHPには「成田山木更津教会」として紹介されています。
明治に入ってから現在の名称「成田山新宿不動堂」と呼ばれるようになったそうです。
▼参道途中に観音像が並びます。
東京で「不動堂」と言うと「深川不動堂」ですが、別院は横浜や川越が有名でしょう。
しかしここ木更津不動堂の様子は、そんな深川不動や横浜別院のとは随分かけ離れています。
▼まさに「堂」の名が相応しい様相で、住宅街に建つものの、田舎の寺を訪問した時のようなホッとする思いにさせられます。
▼ホッとする思いなのですが、前回訪問の記憶とどこか違和感があります。
▼もう一度、冒頭に掲げた2012年の写真です。
1対の仁王像がなくなっています。
どこへ逃げ出してしまったのでしょう?
不動堂は小さいながらも複数の札所になっています。
「関東八十八ヶ所霊場」「上総の七福神霊場」「新上総国三十三観音霊場」
「上総国 薬師如来霊場」「上総 保久利地蔵霊場」
見聞きせぬ霊場名もあります。
▼本堂前にある「稲荷社」。
▼さらに本堂手前の「ぽっくり観音」「ぼけよけ地蔵」。
こう言う名称が付けられるのは世相を感じさせられます。
▼智拳印を結んでいるから「大日如来」でしょう。
▼順序が逆になりましたが「手水舎」は明治期に建てられています。
▼浪切不動はじめ空海など、多くの仏像が立ち並んでいます。
▼そして8年前に見た本堂前の仁王像は、隣接する駐車場のようなスペースに移動していました。
どんな事情でこちらに移動したのか分かりませんが、
「これでもか!」と堂々とした仁王たちは
広いスペースでノビノビとして、さらに堂々さを増しているようでした。
最後に「新宿」について。
「新宿」は東京にもう1ヶ所あります。葛飾区「にいじゅく」です。
全国的にも同じ地名はたくさんあり、読みも
「しんじゅく」「しんしゅく」「にいじゅく」「あらじゅく」
などと様々です。
ほとんどが新たにできた「宿場」という意味でしょうが、
かつて、船で江戸と直結していた木更津も宿場町でもあったようです。
その木更津宿場町に対する「新宿」なのでしょう。