「なんこじんじゃ」と読みますが、耳に良い響きではありません。
ちなみに茨城の水戸には「東湖神社」という名称の神社があります。
御朱印右上の「守国大明神」とは、祀られている名君「松平定信」の神号だそうです。
「松平定信」は、緊縮財政と風紀取締りを実行して幕府の財政再建を主導した江戸時代の政治家。のちに白河第3代藩主となっています。
ですので「三つ葉葵」の紋も押されています。
▼印刷物っぽい限定御朱印はスルーです。もう、いいでしょう!
限定御朱印については神社の【HP】や【FB】などでも紹介されています。
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▼今回のR294北上最後の地点、福島県白河までやってきました。
▼南湖神社は「南湖公園」に鎮座すると言って良いのでしょう。
▼「南湖公園」は白河藩主「松平定信」が造成した湖を中心とした「日本最古の公園」だそうです。
1801年に、この地を身分の差を越え庶民が憩える「士民共楽」という思想を掲げて開放された場所という意味で「日本最古の公園」だそうです。
湖とも池とも言えるような大きさです。公園全体が池泉庭園という姿とか。
季節になると桜や紅葉が楽しめるそうです。
▼人間も水鳥も「身分の差を越え庶民が憩え」る場所です。
▼こちらも士民共楽の精神を受け継いだ回遊式庭園だそうですが、入場している時間はありません。もう夕方4時30分。神社の授与所が閉まってしまう亜kもしれません。
▼急ぎ神社に向かいます。
▼神社入口のここにも雅号を「楽翁」とする定信像が建ちます。
南湖神社は大正時代の1922年に創建された、比較的新しい神社です。
それでも2022年には創建100周年を迎えることになります。
▼その創建にはこの人も支援しているそうです。全く何にでも関わっている人です。
渋沢は南湖神社ができるまでに何回も白河を訪れているそうです。
▼手水舎はやはり柄杓が置かれていました。北の神社はそれほど神経質になっていないようです。
▼社殿は工事中でした。21年2月の地震では神社にも被害が出て、石灯籠の上部分が落下していました。
▼工事はどうやら向拝と屋根の葺き替えのようです。
▼工事が完了すれば銅板葺きの屋根で見違える姿に出会えるのでしょう。
▼社殿右隣の「稲荷神社」です。
▼2月の地震ではキツネたちは無事だった様子です。
▼当初の稲荷社はこんな祠だったのかもしれません。
▼恵比寿、大黒が大集合していました。相当「密」です。
▼そろそろ神社を出ようとしましたが・・・
▼「松風亭蘿月庵(しょうふうていらげつあん)」という建物がありました。
寛政年間に建てられた茶室がここに移築されたそうです。
白河藩の藩士が、松平定信から譲り受けた図面を元に建てた茶室で、定信本人も茶会の催しに何度も訪れたそうです。
社殿や境内が工事中で少し残念でしたが、
風光明媚な地に鎮座する南湖神社は季節を選んで参拝すると、一際記憶に残る訪問となることでしょう。