「奉拝」の下の「報本反始(ほうおんはんし)」の文字は、
「本に報い 始めに反る」と読み、
意味は「天地や祖先などのこれまでの恩に感謝し報いること」だそうです。
▼「御朱印300円」と案内がありました。
しかし、朱印帳に直書きいただいたので100円硬貨5枚を三方の上に乗せると、
宮司さんは「300円!」と言って200円を返されました。
いつものように「お賽銭がわりに・・」と言い添えると、
「決まりだから!」とピシャリ!
それ以上ガンバる必要もないので、200円は拝殿に戻って賽銭箱に入れました。
御朱印代を渡す時の度々のパターンですが、考えて見ると200円オーバーくらいで
「お賽銭がわりに・・」
と言われても、受け取る側は「恩着せがましく失礼な奴だ」と解釈される場合もあるかもしれません。
「それならば始めから賽銭箱に入れなさい!」という解釈の方が理にかなっています。
これからは少し気をつけて、御朱印代を渡すことにします。
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▼R294を大きく西に逸れて4号線の西までやってきました。
黒磯は元「黒磯市」でしたが、周囲と合併されて「那須塩原市」となっています。
海から遠い内陸部でなぜ「磯」なのでしょう?
黒磯の村の草分けである黒館五郎の「黒」と、その妻磯よしの「磯」をとって名付けたという説と、
集落のはじめは那珂川河畔の低地にあり、川の磯が黒いことにより起こったという説とがあるそうです。
しかし一般的には川の場合「川端」「川岸」「川の畔(ほとり)」などと言うと思いますが、川でも「磯」と表現するのでしょうか?
地名の由来は不確かなものが多いのもやむを得ません。
「黒磯市」の名称は無くなりましたが、JRの駅名は「黒磯」として残り、
▼そしてここも変わらず「黒磯神社」です。
「黒磯駅」からほど近い住宅街に社叢を構えています。
▼白い鳥居とは対照的に黒っぽくなった社号標は大正初期に建てられたものでした。
戦火に焼かれて黒くなったのかもしれません。
▼植栽がきれいに整えられたこの参道を車で進入しました。ちょっと勇気が入ります。
▼車はニノ鳥居と神門の間を左に折れ境内に駐められました。
▼振り返ってもここを車で進んでくる人はいません。人もいませんが・・.
▼背の高い灯篭です。昔はまさに陸の灯台的役目を担ってきたのでしょう。
▼どの神社でも狛犬たちが機嫌よく迎えてくれることは少ないです。
▼UPで撮って機嫌をとっておきます。ブサカワです。
▼こちらもUPで・・。鼻に目がついているようなユニークな表情。
▼手水舎は普通に柄杓の用意がされています。
柄杓が取り払われているのは、やはり1都3県だけなのでしょうか?
▼柄杓は正解ですが、寺社に一番似合わないカラーコーン。
境内は整備中らしく、カラーコーンも致し方ありません。
▼白い細かな砂利が敷き詰められた境内は清潔感があり、とても気持ちよく、海辺近くに建つ神社のような感じがします。
▼主祭神は天照皇大御神、コンクリート造りの社殿は昭和の造立。
「敬神愛国」「報本反始」「協心一致」の思想を掲げて、明治時代に創建された神社です。
御朱印に添え書きされているのは、その思想の「報本反始」でした。
▼「神馬」は、神宮の「お白石持行事」参加・参宮記念だそうです。
「お白石持行事」とは、伊勢神宮の遷宮の一連の諸行事のひとつで、
新しい正殿の敷地に敷き詰める「お白石」を奉献する行事だそうです。
▼「額堂」と思われます。
▼社殿裏手に突然現れる白い建物は正体不明です。
▼こちらは「祖霊社」。
▼旧人力車組合が観請した「足尾神社」は、その名の通り足に関する霊験ありとか。
▼こちらは「御神木」でしょうか? 稲荷社もあります。
▼さらに、こちらは「御神像」と説明がありました。
▼左は「惶根尊(かしこねのみこと)」右は「両足尊(おもたるのみこと)」。
広々とした白い境内に、宮司さん以外には誰とも出会いませんでした。
夏の午後の静かな、静かな黒磯神社でした。