難波神社の御朱印
「なんば じんじゃ」主祭神:仁徳天皇(大阪市中央区博労町4-1-3)
右上の印は神紋で、菖蒲紋の一種「抱き菖蒲」と呼びます。
涼しげな「アヤメ」のイラストスタンプも押され、
6月には花菖蒲を奉納する神事が行われるそうなので、何かと菖蒲と縁の深い神社なのでしょう。
▼朱印帳に記帳いただいて300円。
朱印帳も1000円という東京では絶対見られないようなリーズナブル頒価となっていました。
「記帳すれば1300円」と、丁寧な案内も出ていました。
▼「雨の御堂筋」というのはどこかで聞いたことがありますが、「雨上がりの御堂筋」です。
大阪は南北に貫く大通りを「筋」と表し、京都では東西の大通りには「条」の文字を用いていて地理的には覚えやすい、捉えやすい名称となっています。
これは街の形がほぼ碁盤の目になっているので、
そのような名称をつけられるのでしょう。
東京では本所あたりの江戸時代に形成された街以外は「碁盤の目」は見当たりません。
道路の名称も「筋」も「条」もなくすべて「通り」です。
皇居を中心としての環状道路はありますが、地理を覚えるには容易ではない東京です。
▼さて、難波神社は巨大な一方通行「御堂筋」沿いに鳥居を構えています。
関東人にとって「御堂筋」という言葉は通りの名称というより、街、繁華街、ビジネス街としてのイメージを持っている人が多いと思います。
おそらく多くの楽曲の歌詞に出てくる「御堂筋」というイメージが強いからでしょう。
▼御堂筋沿いの東の入口から正面に移動して南の鳥居です。
▼境内に入るとクスの巨木が目を惹かれます。
境内にほかに大きな木はないので余計目立つのでしょう。
樹齢400年、空襲の戦火で傷を負いながらも生き続けているそうです。
触れるとパワーをいただけること間違いないでしょう。
御堂筋にはきれいな並木が長く続いていますが、
その外側はビルで埋まっていて緑は多くない中で
難波神社はビジネス街のオアシス的存在でもあるようです。
▼社殿前でアヤメ造りがされていました。
「菖蒲神事」で菖蒲を刈り取る所作のある神楽「菖蒲刈り」が巫女さんによって舞われるそうなので、それに使われるのでしょう。
もっとも本ブログは菖蒲(しょうぶ)もアヤメもカキツバタも区別はつきません。
ちょっと意味は違いのに
「いづれ あやめか かきつばた」の慣用句に納得してしまいます。
ホントは「甲乙つけがたい」という意味でしょうが・・。
ところで大阪の田舎者としては「難波」からは距離が離れているのに
なぜ「難波神社」なのか不思議です。
数回遷座され、明治になって「上難波神社」から現在の「難波神社」となり、それまでに天王寺区本町に鎮座していた時期もあり、そんな関係からでしょうか?
それとも大阪人の地域的「ナンバ」感覚は広域なのかもしれません。
訪問は日曜日でしたが地域、柄境内にはビジネスマン・ウーマンらしき姿も多く見られました。
子である反正天皇(はんぜいてんのう)が、父の仁徳天皇を祀ったのが創建と伝わります。
仁徳天皇を主祭神とする神社は当社と「高津宮」くらいでしょうか?
関東では相殿や若宮などで祀られる他はほとんど見かけません。
日本最大の古墳「仁徳陵」に眠る天皇にしては、神社数の少ないのも不思議です。
▼江戸時代には単に「稲荷社」と呼ばれていたそうです。
▼「博労稲荷社」は江戸時代では「博労町のおいなりさん」として仁徳天皇より有名だったようです。
当社の鎮座地町名にもなっている「博労」とは聞き慣れぬ言葉ですが、
牛馬の売買を生業としていた「馬喰」のことで
伯楽、白楽もみな「ばくろう」だそうです。
大阪の「博労町」、東京の「馬喰町」ということでしょう。
▼こちらは「金刀比羅神社」。
▼「十四柱相殿神社」は、楠木正成、秀吉、家康、道真など錚々たる祭神が祀られています。
14柱の神々は少し窮屈な思いをしているかもしれません。
▼片隅の神池も小さなオアシスの役目を果たしています。
活気のある街で参拝者の絶えない活気のある神社でした。