坐摩神社の御朱印
「いかすりじんじゃ」または「ざまじんじゃ」
御朱印は見開きで直書きいただきました。
神紋の白鷺印の下に「摂津国一宮」の印があります。
坐摩神社は「延喜式」に攝津國西成郡の唯一の大社と記されているそうです。
▼難波神社、南御堂から西へわずかに移動。南御堂の裏という立地です。
鎮座地の住所は「久太郎町4丁目渡辺3」という珍しい表記になっています。
地域が整理され地名変更とともに元の「渡辺町」がなくなる計画に対して、
渡辺姓の末裔で作る「全国渡辺会」が渡辺の名のルーツである渡辺町の消滅に反対運動を起こした結果「4丁目渡辺」となったそうです。
googlemapで見ると神社だけがこの表記になっています。
渡辺姓の発祥の地だそうですが「全国渡辺会」の存在とともに驚きの初耳です。
▼街中に緑を見つければ、そこは神社や寺であることが多いのは大阪でも同じです。
▼大小の3つを組み合わせている珍しい鳥居。
▼さて「坐摩神社」、どうあがいても「ざまじんじゃ」としか読めません。
地元の方々には親しまれて「ざまさん」と呼ばれているそうですが、あまり耳障りの良い言葉ではありません。
「イカスミ」ならばパスタ!
しかし「イカスリ」。
「いかすり」は「居住地を守る」という意味の「居所知(いかしり」)が転じたという説があるそうです。
どちらにしても少し厄介な名称の神社です。
それだけに人々には記憶されやすい側面も持っているかもしれません。
▼手水舎はこのスタイル。水は自動で出て昨今の感染症対策いらず。
▼鳥居と手水舎の間に隠れていて見過ごすところでした。備前焼かもしれません。
▼境内右側の回廊が目につき、後方に境内社が見えます。
▼順序は逆ですが、本殿の前にこちらから参拝。
社殿は小振りながら統一された美しい姿をしています。
坐摩神社は由緒によれば、
神功皇后が新羅より御帰還の折、淀川南岸の大江、田蓑島のちの渡辺の地(現在の天満橋の西方、石町附近)に奉祀されたのが始まりとされています。
ということは4世紀ごろになります。とお〜い、と〜〜い昔です。
白鷺の神紋は、神功皇后が坐摩の神の教えにより白鷺の多く集まる場所に坐摩神を奉遷されたことに由来するそうです。
井戸水の神・屋敷神・庭の神・足下の神・旅の神などが祀られ、総称して坐摩神と呼ばれています。
▼社殿はコンクリート製で戦前の姿のまま昭和に再建されています。
▼東京でも同じでが、やはり人々の集まる神社が寄席などの発祥地となるのでしょう。
▼西側にある神社入口です。
▼その正面は「稲荷社」。
▼面白い形の屋根です。
▼その左隣は大阪夏の風物詩として有名な「陶器祭り」が開催される「陶器神社」。
陶器神社の起こりは江戸時代ですが、創建されたのは明治6年。
かつて当地域には陶器問屋が200軒もあったそうです。
それらの商人に「火除の神」として崇拝され
「火防(ひぶせ)陶器神社」と呼ばれています。
焼き物に知識はありませんが、灯篭も陶器製は珍しいでしょう。
▼「陶器祭り」の案内も陶器製です。他にも随所に陶器が使用されています。
「いかすり神社」より「陶器神社」が印象深い「ざま神社」でした。