▼成東山 長勝寺 浪切不動院の御朱印です。(真言宗智山派・)
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▼山武市(さんむし)は平成にできた比較的新しい市です。
ですからその名称にはあまり馴染みがありません。
しかし台風による暴風の被害、長期停電などのニュースで頻繁に耳にするようになりました。東日本大震災の折にも津波の被害が出ています。
そんなことで有名になりたくないでしょうが、自然の猛威は大概、地方を襲うのが常です。
▼そんな被害が出なければ低山と田園と海のある、のどかな土地です。
行基は奈良時代の僧ですので、寺の歴史はずいぶん古いことになります。
▼補色関係にある周囲の緑の中に仁王門の朱色が、ひときわ目を引きます。
▼仁王門で隠れてしまっていますが、門をくぐった先の階段のさらに上が懸造り本堂となっています。
▼高齢者などにはその高い位置にある本堂まで登るのは大変です。
▼そんな方達のためと言うより、より親しくいつでも気軽に参拝できるように崖下に不動明王が降りてきています。
▼レリーフは玄奘三蔵。実在の中国の僧で、インドへの旅を記した本が「西遊記」の元になっています。
▼地蔵さんのポーズがどこかヘンですが、箒を持たせれば納得。箒はどこにいった?
▼ハイハイ、無事に帰れるように気をつけます。寺社ですっかり定着したカエルさん。
▼西国三十三所のお砂踏みになっているようです。
▼お姿は観音様ではなく、同じ造りの「空海」さんでした。
▼お砂踏みも同行二人、弘法大師とともに巡ります。
▼般若心経のマニ車。本当の名称は知りませんが、ワタシはマニ車と呼んでいます。
▼かつてはここに鉱泉が湧いていたそうです。
▼そして不動院の脇には「成東館」という旅館もあったそうですが、昭和初期に閉館されています。
案内板には尾崎紅葉や徳田秋声が湯治客として訪れており、また泉鏡花の小説の舞台ともなっているそうです。
「鉱泉」「湯治」「文士」明治時代が羨ましくなるようなこの寺の歴史です。
懸造りの本堂に登る前に境内を散策してみます。
▼注意緩慢な人間でも、あちらこちらに目を向けさせられる像やモノが多いこの寺は、訪問者を何しろ飽きさせません。
▼かと言って有料の観光寺ではありません。千葉に拝観料を必要とする寺は少ないのですが、規模は小さいながらそんな有料寺に劣らない浪切不動院です。
▼ここにもお不動さまがいらっしゃいました。
▼岩です。侵食されたような穴があります。
そう言えばこの寺は九十九里浜の海岸線から直線距離で8km以上あります。
なのに「浪切不動」です。
同じ千葉県のいすみ市に大聖寺「波切不動」があります。そこはもう少し海に近い場所にある寺です。
東京・築地には「波除稲荷神社」があり、やはりかつては東京湾に接していました。
ここ「浪切不動」もかつては海に面していたようですが、現在のように海岸線が太平洋側に延びて海が遠くなってしまったようです。
穴の開いたこの岩は、かつて海水によって侵食された岩かもしれません。
▼崖の上の本堂では何もできないので、様々な行事はもう一つの本堂で行われていることが予想されます。
▼寺が後ろに背負っている小高い山は「石塚の森」というスダジイの林になっていて、千葉県の天然記念物になっています。
▼下の境内を一回りしたところで、いよいよ、ここからその森に登ってみます。
▼観音堂がありました。
▼観音様の足元にはいろいろお願いできるオブジェがあります。
▼どこかで見たような覚えのある造形です。
思い出しました。
▼これです。「万治の石仏」を思い起こさせられました。
▼途中から仁王門を見下ろします。
▼本堂が近づいてきます。同じ千葉の「崖観音」を思い出します。
▼近づいてくるというか、覆いかぶさってきます。
▼本堂回廊は狭く、欄干も低い。
▼半ば高所恐怖症なのに高いところが好きという矛盾を抱えています。
▼腰がひけて扁額も正面からは撮れません。
▼ヘッピリ腰で回廊を一周します。
▼仁王門から、遥か彼方は太平洋。
狭い回廊に直に腰を下ろして、かつては波音が聞こえるほどの近さの海辺、そして明治の文士たちが憩った湯治場などに想いを馳せ、しばしこの風景を眺めていました。
▼「崖観音」の記事です。