東大寺は金光明四天王護国之寺とも呼ばれます。
▼同、念仏堂の御朱印。
▼同、二月堂の御朱印。
▼同、四月堂の御朱印。
東大寺は3回目の訪問。今回は大仏殿はパスしました。
このほかのお堂や境内の神社、期間限定もいただけるようなので、いったい何種類あるのか全くわかりません。
ワタシの場合は少食なので、戒壇院からグルッと二月堂方面に回って5体いただければ、もうお腹イッパイでした。
▼御朱印では「戒壇院」、mapでは「戒壇堂」となっています。
▼奈良公園のマスコット的存在ですが、外国からの観光客とのトラブルが度々。でも彼らに罪はありません。
▼エサの鹿せんべいを欲しがるのも人間が許したことです。
▼春日大社の神の使いとして保護されているので、増え続けて現在は1200頭ほどいるそうです。
▼南大門までの敷地は公園の扱いでしょうか。鹿たちの楽園状態です。
▼日本最大の門の扁額は「大華厳寺」。大きな寺の場合、その名称は通称などを含め大概複数あります。
▼あまりに有名な仁王像または金剛力士像は日本最大の巨像。1体が約3000点の部材で造形されているそうで鎌倉時代の運慶・快慶の作。
▼運慶・快慶は良きライバルであったかもしれません。
2人はのちに、武家社会と深く結びつく運慶と、庶民の中にも溶け込んでいく快慶と言うように進む道が別れました。
南大門の像のようにダイナミックで圧倒的な力強さと超リアル作像の多い運慶ですが、晩年には興福寺の「無著像」のような傑作も製作指導しています。
2人がスーパー仏師であったことは、残されている像を見れば誰しも納得できることでしょう。
▼望遠レンズの写真は「中門」と「大仏殿」が一つの建物のようになってしまっています。
▼手前が中門、その奥の金色の鴟尾のある建物が大仏殿。
▼台座からの像高18mの盧舎那仏はこの金堂の中。有料ゾーンに入らず、中門の隙間から見た大仏殿。ここまでの建物はすべて巨大です。
▼大仏殿を素通りして戒壇堂です。
▼ここから有料です。大仏殿とは異なり拝観者はわずか。と言うより、他に1組しかいませんでした。
▼鑑真和上を招いて創建された戒壇堂は、大きな大仏殿を目にした後ではオモチャのように見えます。
▼今回の東大寺訪問はこの方との対面が主目的でした。静かな堂内の中で、こちらも眉をひそめて対峙させていただきました。写実的な顔貌は憤怒を抑えた感情を高度に表現しています。
仏像が特に好きなわけでもなく、知識もありません。しかし、国宝の四天王像、特にこの「広目天」と興福寺の「無著」は見ておきたい。
これまでに印刷物やネットで散々見ているものの、いざ現物と対面してみると、仏像というよりあまりにも人間的な表情に息を飲み、感動に言葉も出ませんでした。
細かい事を書き出すとボロが出ますので詳細は他のサイトに任せましょう。
▼戒壇堂を出ます。広目天に逢って少し興奮した心を落ち着かせるように、静かな土塀の路を、大仏殿の裏をグルッと回り込むように進みます。
▼鐘楼が目に入ってきます。屋根の大きさと反り返りが目を引きます。まるで怒り立っているようです。
▼重さ26トンの梵鐘を吊り下げています。
▼行基堂のほか俊乗堂、念仏堂などが建ち並び、この付近はとても静かです。
しかしここでも外国からの訪問者が目立ちます。
▼「お水取り」行事で誰もが知っている二月堂へ向かいます。
▼あらためて説明の不要な二月堂への石段の登楼を進みます。
▼どっしりとした懸崖造りの二月堂は江戸時代の再建です。
▼舞台が設けられています。本尊は絶対秘仏の観音さま。
▼しかし・・・
▼どこの国の寺院なのかわからなくなっています。
▼彼らの目に映っているものは遠方の奈良の都でしょうか?
1200年の間、1年も欠かされずに行われている「お水取り」行事では、舞台の上から大松明の火の粉が散らされます。その風景は毎年TVニュースで放映されます。
▼名残惜しいので何度も振り返りたくなります。
▼最後に四月堂(三昧堂)の堂内に入り座ってお参りして御朱印をいただきます。
勿体ない事に、このお堂はほとんどの人が素通りしていきます。
御朱印目当ての観光客に限らず、東大寺は大仏殿や二月堂以外にも見所満載は言うまでもありません。
一度だけでなく、2度、3度訪問すべき寺かもしれません。