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御朱印迷宮

関東を中心とした寺社の御朱印記録です。参拝・収集目的に少しでも役立てば幸いです。

妙義神社の御朱印(群馬・富岡市)〜上毛の山中に舞い降りた鳳凰か 孔雀か

妙義神社御朱印

みょうぎ じんじゃ主祭神日本武尊群馬県富岡市妙義町 妙義 6)

 

妙義神社御朱印です。

超達筆な神社名の筆書きは黙って見せられたら読とれないかもしれません。

中央下の印は文字に隠れて読めません。

御朱印は2016年の日付ですが、2022年現在も構成に大きな違いはなく「天狗の団扇」のスタンプが「サービス」されているようです。

 

御朱印ブームの中にあっても全国の一宮など由緒ある有名神社は、

イラストスタンプを多用するなど大きな「サービス」はせず、

御朱印の構成は概ね変化ないのがほとんどでしょう。

 

そんな中でも当社の「天狗の団扇」のように、

構成的に小さなイラストスタンプが一つ増えるのは、収集者にとっては嬉しいことかもしれません。

 

御朱印は神社入口近くの「総門」の先の授与所でいただきました。

 

妙義神社へはほとんどの人が車での訪問となるでしょうが、タクシーですと「松井田駅」から10分ほどだそうです。

 

群馬県内の妙義山赤城山榛名山を「上毛三山」と呼びます。

京都五山」とか「鎌倉五山」のように臨済宗の寺院の寺格を表すのではなく、

純粋な「」を示しています。

 

しかし「上毛三山」はそれぞれ山頂や山麓に神社が鎮座しますので、

各地の「五山」と同様に、御朱印がいただけるということに関しては同じ「」と言えるかもしれません。

 

妙義山の主峰白雲山は奇岩で有名で、その東に妙義神社は鎮座します。

 

神社全体は山麓に鎮座というより、ほぼ山中にあると言った方がしっくりくると言うくらい周囲は山に囲まれています。

 

▼大きな社号標。

 

都心部に住むので御朱印に興味を持つ前までは、平野部に鎮座する神社に参拝する機会がほとんどで、山麓、山頂にある神社を訪れることはありませんでした。

 

そもそもな有名の山には必ずと言って良いほど神社が存在することすら知らなかったのです。

 

 

御朱印をいただきに各地の社寺を巡るようになって当然、山麓、山頂を訪問するようになり、そんな経験を数多くするようになっても、なぜ山中にあるのか当初は不思議にも思わなかったのです。

 

▼「総門(仁王門)」の扁額は「高顕院」。元別当石塔寺院号

 

ところが無宗教でも10年以上も御朱印に関わっているとあえて勉強などしなくても、

いやが上にも社寺の起こり、歴史などを教えられ、山岳信仰修験道神仏習合別当寺、廃仏毀釈などという言葉も理解できるようになります。

 

 

日本は昔から豊かな自然のいたるところに神は存在すると考え、

岩・木・石・山などを信仰の対象としてきた歴史があり、

そんな信仰対象の集合体のような山を崇拝する山岳信仰も生まれたと言うようなことも自然に知ることになります。

 

 

当初の御朱印ブームに対して寛容な社寺の思いも、そんな周知効果を期待しての事という背景もあったのでしょう。

 

▼「銅鳥居」。

 

度々のことですが話が妙義神社が脱線していますので軌道修正。

 

妙義神社に伝わる創建は537年。537年??何時代かもわかりません。

あの聖徳太子の誕生が574年ですから何となく想像できます。

日本に仏教が伝わる前後の時代と思って良いでしょう。

 

そんな時代の創建ですので当然山岳信仰としての妙義神社でしたでしょうから、当初は小さな祠しかなかったかもしれません。

のちの江戸時代に徳川家の崇敬を得るようになって神社らしい形が整えられ、別当寺も設けられたのでしょう。

神社入口にあった「総門(仁王門)」がその名残でしょう。

 

妙義神社は境内が下層から上層までいくつかの層があり、それぞれの層に様々な建物がたち、各層を石段が繋いでいます。

▼最上層に近い「隋神門」に続く石段の数は165段。

▼上から見ればケッコーな勾配と石の古さが目立ちます。

▼下左に見えるのは「波己曽(はこそ)」、右は「銅鳥居」。

過去の大河ドラマでは何度もそのロケ地となっているそうです。

 

▼隋神門がある層から社殿方面の眺め。

▼最後の石段の先は「唐門」。本殿などとともに国の重文。

▼見事としか言いようのない黒漆塗り、権現造りの豪華絢爛な「拝殿」は本殿、幣殿ともに江戸時代中期1756年の造営。

その後も改修などが繰り返されてきたのでしょう。

華麗な姿はまるで山中に舞い降りた鳳凰か孔雀のようです。

各地の東照宮にも似た見事な彫刻が施された荘厳・華麗さは、徳川将軍家に深く信仰されたからこそのものなのでしょう。

風雨にさらされる装飾は維持管理が大変なはず、と余計な心配が湧いてききます。

▼社殿の裏周りはガッチリとした石垣で守られています。

上毛三山」の赤城神社榛名神社、それに一之宮貫前神社、さらに同じ妙義山麓に鎮座する中之嶽神社などもそれぞれ見どころいっぱいですが、

ここは何か力のスケール感が違うかのような空気が漂っていました。

下り進路は周囲を見ながらスロープの緩やかな石段を選びます。

▼人物との比較で杉などの巨木さが伝わってきます。

▼もう一度「波己曽」の脇を通ります。

▼シブイ建物は「旧宮様御殿」。

上野東叡山の宮」の宿坊とのことです。「輪王寺宮」のことでしょうか?

最後の輪王寺宮能久親王

吉村昭は著書「彰義隊」で最後の輪王寺宮の生涯を小説にしていますが、ここ妙義神社は描かれていません。


 

彰義隊」というより、宮とその側近の戊辰戦争に沿った内容で、吉村昭特有の逃亡劇となっています。

 

上毛三山はそれぞれ1度しか訪問していません。

ぜひ再訪したい神社ですが、ままなりません。

 

 


 

 

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