【17.05.22-rewrite 22.03.31】
榛名神社の御朱印
右上のスタンプは「上毛榛名山」。
「榛名神社」の「榛」一文字ですと、なかなか読めそうで読めません。
この地域の知識は「伊香保温泉」「榛名湖」「水沢うどん」などで、訪れたことのある観光地です。
しかし「榛名神社」や「水沢観音」を知ったのは御朱印を頂き始めてからのこと。
そして、ここが「高崎市内」であることに違和感を覚えますが、平成の大合併が成せたことです。
湖とコンパクトな富士のイメージを持つ「榛名山」ですが、
同じ群馬県内の「赤城山」「妙義山」と並んで「上毛三山」に数えられます。
それぞれは山そのものを神としたり、岩を神として祀ったりして、いわゆる古くから山岳信仰の山で、それぞれの山に榛名神社、赤城神社、妙義神社が鎮座します。
▼高崎方面から山を登ってくると、ここで標高約850mほどです。
初夏の7月訪問ですが、この標高だとそれほど暑さを感じません。
▼鳥居横のこの店構えに誘惑されそうになります。
せっかくここまで来たものの、実は予定時間がそんなにありませんでした。
▼予備知識も得てこなかったので、この案内をザッと目にしますが、覚えられません。
▼まずは鳥居先の「隋神門」をくぐり700mの参道を進み「本殿」を目指します。
▼参道は「榛名川」の渓流と並行していて、せせらぎは涼味感に溢れています。
見ているだけでも汗と、煩悩を洗い流してくれるようです。
創建は6世紀と伝わるので1500年の歴史を持つのですが、そのほとんどの時間は神仏習合の時代だったでしょうから、その後に「仁王門」が明治になって「隋神門」とされています。
▼「三重塔」は明治になっても名称の変えようがなかったかもしれません。
700mの参道はゆっくり進めば汗もでないでしょうが、時間がない急ぎ足ですとこの標高でも汗まみれになります。
しかし長い参道は飽きさせません。
苔むした石垣、橋あり、洞門あり、滝あり、七福神ありです。
里や街中の神社では決して体験できないでしょう。
本殿まであと一息というところです。徐々に神の存在が感じられてくるようです。
▼「瓶子の滝」は「みすずのたき」と読むそうです。「びんこ」でも「へいし」でもありません。
▼いよいよ大詰めも近くなってきました。隋神門から50〜60m標高が上がりました。
▼急な石段を登りきると、さらに石段が見えてきました。
▼「双龍門」には、とんでもない岩が覆いかぶさっていて岩と門は同色。門の屋根からモクモクと岩が伸び出しているかのようです。
▼「本殿」は背後の「御姿岩(みすがたいわ)」と繋がっていて、岩の中の洞窟に御神体が祀られているそうです。
もちろん創建当時は、こんな立派な社殿があったはずもありません。
人々は岩の高みに穿たれた祠らしき対象に向かい祈りを捧げたに違いありません。
神社入口の隋神門に始まり本殿までの多くの建物は重文で、ほとんどが江戸時代に建立されています。
▼「鎮護国家」の扁額。
当初の神社は、最初に国家の禍をしずめ、安泰にし、そこに住む人々を安寧に導くのが役目だったのでしょう。
▼華やかな彩色の彫刻にはオドロオドロしささえ感じてしまうほど。
▼「額殿」には夥しい数の奉納額と奥には天狗の面も見えます。
「神楽殿」にも岩が迫り来ています。
大急ぎでの参拝でしたが、帰りの参道で気づかされたのは、曲がった硬いヘソも少し修正されたかな?
あとあと思えばやはり「素晴らしい神社」の一言に尽きました。
伊香保温泉石段街と伊香保神社
御朱印掲載はないのですが、榛名神社参拝後の宿泊地伊香保温泉の点描です。
有名な石段街は最初に訪れた時はもっと昔街のような素朴なイメージでしたが、
ドンドン整備され石畳も綺麗になり、石段両脇の宿・土産物屋も現代的になっています。
訪問者の数も一定数字を保っていて、最盛期には年間宿泊客数が1,700,000人を超えた記録があります。
最近では宿泊客数100万人前後で推移しているようです。
▼石段を登りつめた先にあるのが「伊香保神社」。
やはり最初の訪れた時は、この先の石段を進む人は少なく、境内に人影はありませんでした。
▼ところが2012年の夏は参拝の列ができていました。それもほとんどが若者。
そもそも一昔前は温泉自体、若者が訪れる場所ではありませんでした。
ほぼ、ジジババさんたちと観光団体が訪れるのが温泉だったのです。
▼この日はワンコ連れ。限られた数のワンコ宿泊OKのこの宿にお世話になりました。
人間のご飯が食べられない犬にとっては、温泉でのお泊まりなど迷惑この上ないかもしれません。