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御朱印迷宮

関東を中心とした寺社の御朱印記録です。参拝・収集目的に少しでも役立てば幸いです。

高野山東京別院の御朱印(東京・港区)〜高輪の台地から広がる弘法大師の教え

高野山東京別院御朱印

こうやさん とうきょうべついん高野山真言宗(東京都港区高輪3-15-18)

 

 

高野山東京別院御朱印です。「御府内八十八ヶ所 第一番

中央筆書きの本尊弘法大師梵字は「ユ」=弥勒菩薩を表しています。

弥勒菩薩は56億7千万年後に姿を現して、人々を救済すると言われています。

その時、弘法大師弥勒菩薩に付き添い共に再び現れるそうです。

そこから弘法大師空海)=弥勒菩薩」という事なのでしょう。

 

高野山東京別院御朱印です。「江戸三十三観音 第二十九番

こちらの梵字は「」で聖観音菩薩を表しています。

左下の寺印は共通で「高野山東京別院之章」でしょう。

 

高野山東京別院はこの他、関東八十八箇所  特別霊場にもなっていますので、その御朱印もいただけるかもしれません。

 

東京別院は高輪の南北に長い高台に位置します。

高輪台駅」や「泉岳寺駅」などが最寄となりますが、徒歩10分前後でしょう。

江戸時代までは町外れで、諸藩の下屋敷が置かれていました。

寺の東側が崖になっていて崖下に東海道が、その先は江戸湾だった地です。

 

▼「二本榎通り」という名称の道路東に山門を構えています。

門の左右に「弘法大師」と「第壹番」の文字が刻まれた古い石柱がド〜ンと建っています。「御府内八十八ヶ所 第壹番」という事でしょう。

車での訪問でしたら改めてここから「合掌礼拝」入山門です。

 

▼境内にはゆったりとした広い駐車場が設けられています。

寺は慶長年間に徳川幕府が江戸に開かれたのち、江戸在番所として浅草に開創したのが始まりと伝わります。

江戸在番所というのは和歌山の「金剛峯寺」を本社としたら、その東京支社というような役目を果たしていたのでしょう。

 

その後、現在地に移転して「高野山 江戸在番所 高野寺」となり、御府内八十八箇所の1番札所にもなりました。

さらに昭和の入って現在の「高野山東京別院」に改称されています。

 

▼山門から本堂に向かう参道途中に建つのは「不動堂」。

歴史ある別院ですが建物はすべて新しいので昭和の造営なのでしょう。

当然、鉄筋コンクリート製なので古い風情、趣みたいなものは皆無。

大空襲にあった東京ではそんなものを見つけるのは容易ではないのでが・・。

▼どっしりした本堂は「遍照殿」。

遍照金剛」は空海の灌頂名で、大日如来の別名でもあります。

香の匂いが立ち込める本堂内は出入り自由で、「お大師様像」が中央奥の荘厳な須弥壇に祀られています。

照明や柱には様々な装飾物が取り付けられています。それぞれ名前があり、意味あるものなのでしょう。

毘頭盧尊者、おびんずるさまもいらっしゃいます。このほか閻魔様像もありました。

▼墓地近くに石造の観音像。

▼修行中の「空海」。

▼2015年に建立された「明神社」。まだピッカピカです。

空海高野山を開くにあたり、最初に明神社を祀った後、他の伽藍造営を手がけたそうです。

高野山の「四社明神」などが祀られています。「南無大明神」と唱えるそうです。

 

地蔵菩薩像の周りにかわいらしい小地蔵たちが集まっています。

▼ミニ四国です。「発心」「修行」「菩提」「涅槃」の四つの道場があります。

この他「お砂踏場」もありました。

また最近の当寺は「高輪結び大師」とも呼ぶようになったそうです。

かつては「高輪」を「高縄」と表わし、HPからの引用では

「縄」は様々なものを結ぶように、仏と人、人と人など、多様な御縁を結んでいただける弘法大師様です。

だそうです。

 

この大きな石とは関係ありませんが、境内の地下には「高輪変電所」が設けられているそうです。

弘法大師の教えも送電のごとく広められていくかもしれません。

 

高野山東京別院では、

お守りや御朱印帖など授与品の郵送での販売はトラブルや転売が見受けられる為、一切禁止させていただきます。

だそうです。

 

御朱印を郵送で求めようとする人たちの多くは

「イラスト御朱印」や「キラキラ御朱印」なので、東京別院御朱印を郵送で得ようとする人は少ないかもしれませんが、

なにしろ郵送とか遥拝での御朱印は疑問を持たずに入られません。

 

 

wave2017.hatenablog.com

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