森戸神社の御朱印
「もりと じんじゃ」主祭神:大山祗命(神奈川県三浦郡葉山町堀内1025)
▼森戸神社の御朱印です。
達筆なことは言うまでもなく、バランスが良く「正統派」の御朱印と言えるでしょう。
▼森戸神社の御朱印帳です。
▼森戸神社は三浦半島西岸のほぼ付け根に鎮座します。
JR「逗子駅」や、京急「逗子・葉山駅」からバスが数多く運行されています。
▼車ですと逗子方面から国道134号線を分岐して、海岸側を走る県道に入って南下すると右手にハデな看板が目に入ります。
「駐車場100台完備」との案内ですが、高くはないものの有料です。
▼狭い県道を多くの車が渋滞気味にトロトロ移動する中、バスも運行され、バス停「森戸神社」の前に神社の古い社号標が立ちます。
▼その先の朱色の大鳥居がフトコロ広く参拝者を迎えます。有料駐車場はこの先です。
2021年4月18日の参拝です。
コロナ禍、3度目の緊急事態宣言発令の直前でも多くの参拝者で賑わっていました。
そもそも、これまでも外部からこの神社を訪れる人は多かったのでしょうか。
本ブログが森戸神社の名を知ったのはまだ数年前のことです。
純粋な参拝者、御朱印収集者、景観目的の訪問者が入り乱れて有名になったのは、いつ頃からなのでしょう?
そんな疑問を持たされる寺社は他にも数多くあります。
ある日、突然的にネットで取り上げられるようになるのです。
言うまでもなく、SNSによって寺社の魅力、パワースポットの有無、聖地、さらには御朱印などの情報が発信されることによって拡散されます。
森戸神社の場合は、ある時期から公開されている公式HPより、それ以前からのFBが人々の耳目を魅いたかもしれません。
神社のFBは2013年から始まっています。
そしてバズったのは最初のオリジナル御朱印帳発売時だったかもしれません。
御朱印そのものも、ネット上ではここ数年に授与されたものばかりで、古い日付のものは見当たりません。
いろいろと推測で、ホントのところは何もわかりません。
鶴岡八幡宮や銭洗弁天の鎌倉を除けば、江ノ島の「江島神社」に次ぐ人気を得ているように思います。
三浦半島先端の「海南神社」や、東岸の「叶神社」も人気でしょうが、
アクセスなどの地理的条件は、「葉山」というブランド地名とともに森戸神社の優位性は高いでしょう。
▼さて、海のそばの神社らしく松林の参道を進むと左手に手水舎があります。
▼手水舎からニノ鳥居を振り返ると、松の木がとてもいい景色を作っています。
▼参道をはさんで手水舎の反対側には境内社がいくつか並びます。
「総霊社」は英霊、祖霊、水子霊などが祀られているそうです。
▼「水天宮」。
▼「水天宮」の子の石を撫でると子宝のご利益が得られるとか。
▼「水天宮」の裏側にある「子寳石 納所」。
▼子供が「石のように丈夫でありますよう」との願いを込めて納めるそうです。
▼社殿にいちばん近いところに「おせき稲荷社」。
「おせき」とは人名かと思いきや「咳」のことだそうです。
「喉が止まらない人」「喉を使う職業の人」たちの祈りを集めているそうです。
「せき」も「お」を付けると意味不明になりますが、
「おせきが止まらない」などという表現は、幼い子供か、よほど高貴な方を相手にする場合に使われる言葉でしょう。
▼神社入口近くに次いで社殿前にも一対の狛犬が並びます。
「二人」ともイイ顔をしています。
やはり狛犬は新しいものより、少し時代が古いものの方が魅力的です。
▼他の神社でも時々見かける「砲弾」です。日露戦争の戦利品かもしれません。
神社の創建は不詳です。
「森戸大明神」とされる祭神は、大山祗命(おおやまつみのみこと)と事代主命(ことしろぬしのみこと)が祀られています。
神社の由緒によると本殿は
▼木々に覆われ本殿の様子はよくわかりません。
▼社殿裏手に鳥居が建ち石段がのびています。
▼「ビャクシン」と同じく「千貫松」も頼朝ゆかり。
頼朝が「如何にも珍しき松」と賞賛したところ、三浦一族の和田義盛が
「我等はこれを千貫の値ありとて千貫松と呼びて候」と答えたそうです。
言い換えれば「値千金の松」なのでしょう。
▼神社の一番高い場所に「山王日吉社」と御神木の「飛柏杉」があります。
「ビャクシン」から「松」、そして「杉」と続きましたが、
「飛柏杉」は、ほかでは「飛柏槇」と表されることが多い木だそうです。
▼遠方に富士も見えます。
富士にかかった雲が流れるのを少し待ちましたが10分経っても動きませんでした。
この日の森戸神社はかなりの強風が吹いていたのですが・・。
▼小山状の高台からは木々の間の北に「森戸海岸」が見えます。
夏になると隣の逗子海水浴場と同様に若者で埋まる人気のビーチです。
▼おやおや、強風の中での撮影のようです。
▼「みそぎ橋」は森戸海岸と神社を結んでいます。
▼境内周辺にはさまざまな石碑が数多く立っています。
源頼朝の石碑も建ちますが、並んで
▼「石原裕次郎記念碑」も建ち、兄の慎太郎自筆の詩が刻まれています。
誰が建立したのか分かりませんが、
もはや「Z世代」には「石原裕次郎」さえ何者か分からないと思います。
まさに「夢はとおく」です。
100年後に頼朝の歴史は残っても、石原の歴史は忘れられるでしょう。
▼灯台の成り立ちは由緒から引用です。
ヨットマンだった石原裕次郎さんの三回忌を偲び、1980年から1993年まで日本外洋帆走協会の会長を務めた、兄の石原慎太郎さんが約1億円の基金を集めて建設しました。灯台のプレートには「海の男 裕次郎に捧ぐ 葉山灯台」と刻まれています。
荒れ気味の波間に建つ鳥居は、遠方の富士山とともに夕陽も綺麗だそうです。
▼葉山マリーナ方面。
▼海に浮かぶ「江ノ島」も見えました。さぞや混み合っていることでしょう。
▼波打ち際で遊ぶには風と波が強すぎでした。
全国には海際に鎮座する神社は多いのですが、
これほど海の香りを纏って建つ神社は他に知りません。
そんな景観が人々に人気の一つでもある神社でした。