子之神大黒天は「ねのかみ だいこくてん」と読みます。
--------------------------------------------------------------------------------------
▼最寄駅はJR「我孫子駅」から徒歩20分と遠いです。駅からバスも出ています。
▼山門には「少林寺拳法 我孫子道院」なんていう看板も掲げられていました。
さて「子之神大黒天」と言われてもよく分かりません。
子の神と大黒天が一緒になったのでしょうか?
この寺の元々は子之神大黒天を祀る「子之権現社」の別当寺だったそうです。
「子之権現社」と言うと埼玉・飯能の「子之権現天龍寺」が有名ですが、
「権現」そのものも漠然としてピンと来ません。
ほとんど理解不能なので「子之権現」も「熊野権現」も「東照大権現」も、みな神で
「ゴンゲンサマ」と理解しましょう。
しかし、ここはネズミを使徒とする大黒天が、964年に安置されたのが始まりです。
「大黒天」なら理解できる? これもよく分からない。
天部に属する仏教の守護神の「ひとり」。
五穀豊穣の農業の神とかで「大国主」と一緒になったりして
「大黒さん」と親しく呼んでいるものの、
やはり、きちんと説明できず「七福神のひとり」というくらいの情けない解釈になります。
▼一枚岩から彫られた「七福神」もいらっしゃることなので、「子之神大黒天」も「七福神のひとり」と言うくらいの解釈でも大きく間違っていないでしょう。
「子之神」は脚と腰下の病に対するご利益が謳われています。
埼玉・飯能の「子の権現天龍寺」も大きな草鞋や下駄が奉納されていて、足腰のご利益があります。
▼しかし、ここでは「かねのわらじ」です。「金」ではなく、擦り切れることの少ない「金属」です。
wiki から引用です。
源頼朝が足腰の痛みで動けなくなった時「子之権現の化身」を名乗る老人がヒイラギの葉で頼朝の足を祓ったところ快癒したことから、足腰の病に効くと評判が立つようになった。
そこで、頼朝は社殿の寄進と一本の松の木を植えたそうですが、近年の火災ですべて失われています。
▼境内にいくつかのお堂があります。これは「大黒堂」らしい?
▼「新四国相馬霊場 」43番。
▼「新四国相馬霊場 」38番。
新四国札所が二つあるのは、
かつては「子之権現社」と「別当寺 延寿院」にそれぞれ札所があったからとか。
▼寺に隣接して「旧村川別荘」があります。
▼大正から昭和にかけて、帝大教授だった村川堅固という人物と、その息子の親子二代が使用した別荘です。
「手賀沼」を見下ろす高台から、沼への斜面になる土地を利用して建てられたそうです。
▼母屋は大正時代に旧我孫子宿の「本陣離れ」を移築したものだそうです。
100年後の現代の別荘でも、こんな大きな平屋建ての建物は少ないでしょう。
当時としては、かなり贅沢な造りだったのでしょう。
なんとも羨ましい佇まいの別荘です。
現代では所によっては古民家caffeや、蕎麦屋、旅籠などに利用されそうな要素を十分持っています。
▼昭和に入って新築された「新館」。家屋にしては屋根が特徴的です。
▼別荘から手賀沼へ降りれば「親水広場・水の館」などもあります。
ご利益の大きな大黒さまと、大正から昭和の別荘、そして手賀沼の水辺を楽しめる寺の訪問でした。