護國山 文殊院 清龍寺の御朱印
「もんじゅいん せいりゅうじ」天台宗(福島県大沼郡会津美里町文珠西)
文殊菩薩の梵字印に、中央の墨書きは「大聖 文殊尊」でしょう。多分!
左下の寺印は「文殊院 清龍寺 〇〇〇」で、一部分かりません。
▼「文殊堂」は岩代国一之宮「伊佐須美神社」の北隣に位置します。
▼県道沿いに「日本三所の一つ 大聖文殊菩薩」の大看板が立っています。
「日本三文殊」でも「日本三大文殊」でもありません。「日本三所」です。
本ブログでは時々、この3つのものの総称としての「三大○○」という話を記事にしています。
明確に誰が決めたわけでも、認定したわけでもないのですが、いつの間にか定説になっているものもあり、「三大」の仲間に入れて欲しい候補者が多数ある紛らわしいものも多くあります。
この「三大」という総称は日本だけに限らず、世界的な文化にも及んでいます。
例えば三大珍味、三大美女、三大料理、三大宗教など挙げたらキリがありません。
さらに「二大」「四大」「五大」などと言う総称もありますが、
圧倒的に多いのは「三大」でしょう。
二つじゃ寂しいし、五つでは覚えられないし、四では縁起が悪い、などという理由で「三」が一番好まれているのかもしれません。
さて、文殊院は「日本三所」と謳われています。
「三所」という言葉は、熊野の「三所権現」、江戸時代の「三所問屋」などに使われています。
文殊の「日本三所」を調べてみました。
どうやら、
硯墨の文殊=奈良県「安倍文殊院」、
そして、ここ会津高田の文殊院が「筆の文殊」で
「日本三所」だそうです。
「筆」「硯墨」「紙」の三つですので、書道・学業・知恵などに結びついて、
それぞれご利益がいただけるとのことらしいです。
紙の「智恩寺」と、硯墨の「安倍文殊院」は「日本三大文殊」とダブっています。
「三」の文字が羅列していて、下手な説明で分かりづらい「日本三所」でしたが、
一人では覚えきれないかもしれません。
やはり「三人寄れば文殊の知恵」は納得の諺なのでしょう。
▼話は現場に戻って「文殊堂」は装飾彫刻と組物で凄まじい状態になっています。
▼大阪には「獅子窟寺」という寺があるそうですが、獅子窟の意味は分かりません。
言い伝えでは清龍寺のの創建は1339年。
その後、ある夫妻が子を授かりたいと願い、妻が文殊堂に籠って祈願したところ、後に「天海僧正」となる子を授かったそうです。
▼チョコンと座るようなユニークな表情の木鼻も見えます。
▼お堂の中を覗いて、失礼ながらパチリ。法具類の奥に見えるご本尊は小柄な文殊さんのようですが、1年に1度だけの御開帳だそうなので御前立なのでしょう。
伝承により天海と深い関わりのある文殊院は、上野寛永寺とも繋がりがあり、かつての幕府からは三つ葉紋葵も拝領しているそうです。
▼「出羽三山」の湯殿山へは東京からよりは近いものの、会津からは約160km。
「仏都会津」と言われるだけに、文殊院も見どころと歴史がいっぱい詰まった寺の一つでした。
御朱印巡りとしては一度しか訪れていない会津は、二度三度訪問したいものです。
▼お隣「伊佐須美神社」の記事。