古河 長谷観音の御朱印
「こが はせかんのん」明観山 観音院 長谷寺/真言宗豊山派(茨城県古河市長谷町5-1)
右上の印は「奉拝」、左下の寺印は「明観山 長谷寺」でしょう。
墨文字も印も易しく、分かりやすい文字です。
もっとも寺の山号と名称を知ってからでないと、左下の寺印は読めませんが・・・。
▼長谷寺へはJR「古河駅」西口から徒歩約20分、タクシーで5分ほど。
古河市と言っても具体的なイメージを持てていません。
地理的な位置からして群馬県か栃木県の自治体と勘違いしていた頃がありました。
北は栃木、西は群馬、埼玉と県境が重なる場所で、
そもそも太平洋側に位置するイメージがある茨城県がここまで内陸側に出しゃばってるとは考えにくかったのです。
おまけに古河市を二分するように国道4号線「日光街道」が南北に縦断しています。
その日光街道の東側は茨城県と理解しやすいのですが、西側も茨城県とはどうしてもイメージしにくいのです。
ということで過去には、古河市は群馬県か栃木県の自治体と勘違いしていたわけですが、その程度にしか古河市を理解していなかったということです。
▼車ならこの山門?の手前に広い駐車場があります。
寺の起源は戦国時代の1493年。
足利尊氏の血を引く足利成氏が古河城の鬼門除けとして、鎌倉長谷寺から勧請し、堂舎を建立したことが起源だそうです。
▼「日本三大長谷観音」の幟が立ちます。
出ました「日本三大・・・」! の囲い込み。
他の「二大」は誰もが知る大和国 奈良と、相模国 鎌倉の「長谷観音」です。
この奈良と鎌倉では幟も、HPも「日本三大」の明記は見つかりません。
おそらく富士山が敢えて「日本三名山」と名乗らないのと同じでしょう。
これとは別に「日本三長谷」「日本三所」という括りがあります。
そこでは不動の奈良・鎌倉の「二大」に肩を並べるのは古河市ではなく、長野市の長谷寺だそうです。
本ブログでは度々「日本三大・・・」などという表現を記事にしていますが、
名乗る根拠はアヤフヤで早い時期の「名乗り者勝ち」的なイメージを感じています。
▼もちろん古河の長谷観音は「日本三大」を名乗る伝承を持っています。
その言い伝えを「古河 長谷寺」HPから引用します。
日本三大長谷観音様のゆわれは、大和、鎌倉、古河の長谷観世音菩薩は一本の楠によって彫られ、大和の長谷観音様は楠の元木、鎌倉の長谷観音様は中木、古河の長谷観音様は楠の末木によって彫れたと口伝されております。
1本の木から数体の仏像を彫り出す話は、ほかにもいくつか聞き覚えがあります。
伝承ですのが、そのまま信じた方が楽しく覚えられるでしょう。
▼その楠の木から彫られた3体の1体がこの菩薩でしょうか?(▼写真は「古河 長谷寺」)
写真の解像度が低くて少しボケていますが、人間っぽい表情の菩薩像に見えます。
ところで「長谷寺」は全国に同名の寺院が多数あります。
ほかの2札所の読みは「はせでら」ではなく「ちょうこくじ」。
全国的にも「ちょうこくじ」と読ませる寺院の方が圧倒的に多いようです。
古河の「長谷寺」はもちろん「はせでら」です。