日付以外の墨書きは残念なプリントですが、朱印はしっかり押捺されたものでした。
当初は中央の丸い朱印が読めませんでしたが、後ほど由緒などを頼りに解読!
▼2021年4月は書置きの授与でした。
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▼神社は国道15号「第一京浜」沿いに鳥居が建ちます。
神社の裏は高台になっていて現在は「三田四丁目」。
▼その高台からの光景を広重が「月の岬」と題して「名所江戸百景」にしています。
「月の岬」の素晴らしい見晴らし先の海は、現在は「ビルの海」と化しています。
同じく、座敷の手すり下の現在は、激しい車の往来が24時間途絶えません。
▼そこに社号標が建ちます。
▼「第一京浜」を横浜方面へ走ると、神社の持ち物でしょうがマンションの壁面に、恥ずかしいほどに大きな金文字が目につきます。
神社を徒歩で訪問する方は、最初に鳥居を見つけたら、それ以上の真上は見ないはずですので、ほとんどの方がこの文字に気づきません。
神社のことを知らなかった頃は、失礼なことに「ごた」「おんだ」と読んでいました。
さらにこの神社前を車で数えきれぬほど走り抜けているのに、これまで参拝していませんでした。
駐車場が見つからなかったからです。
▼しかし実は、この鳥居をくぐって少し先の右側に数台分の駐車場があることを今回参拝して初めて知りました。
今回までこの鳥居の先に駐車場があるとは知らず、この日も神社裏の高台に車を止めての参拝です。
いつものことですが、道路に面している鳥居下の細い参道を無神経に車で乗り入れるのは勇気のいることです。
▼鳥居の先に参道を進むと石段が二手に分かれます。この右手が駐車場です。
社殿のバックは鬱蒼とした森になっています。
港区のこの辺では、ここだけに見られる自然の樹木たちに覆われる神社です。
▼どちらを選んでも勾配はそれほど違わないと思われますが、一応「男坂」「女坂」なのでしょう。
▼石段下の狛犬は金網で保護されています。こちらは数ヵ所が傷んでいます。
▼古そうなので、江戸時代頃のものかもしれません。
▼石段の先は右手に手水舎。2021年、水はありませんでした。
▼正面に社殿です。一人の女性が真剣に長い時間お参りされていました。
主祭神は八幡神(応神天皇、誉田別尊命)で、1300年の歴史を持つと伝わっています。
▼社殿前の狛犬はさらに古いもののようです。足も太くガッシリしています。
▼イースター島の「アモイ像」を連想させられる風貌です。少しお怒りのようですが。
台座には「元禄九年 十二月」の文字が読めました。
あの赤穂浪士が吉良邸へ打ち入った6年前という事です。
こういう風貌の狛犬たちに巡り合うたびに興味ランキングが上がります。
歴史を持つ寺社は、ほとんどが戦火などで何度も建物を焼失しています。
御田八幡神社の社殿も戦後に再建されたものです。
神社は「稗田神社(ひえだ)」から「三田八幡神社」、さらに明治期に「御田八幡神社」と改称されています。
▼本殿のすぐ裏は高台からの崖になっています。
▼社殿左手にある「御嶽神社」と「五光稲荷神社」の境内社が並びます。
こちらは比較的新し目の造りで、神社内で唯一華やかな朱色を放っています。
▼少々荒れ気味の本殿下をよく見ると、片付けられたような朱色の古い鳥居が重なっています。
▼片付けられているのではなく、整備が進められていない稲荷社でした。
▼狐たちには崖下の巣穴のような稲荷社のままの方が住み心地が良いかもしれません。
狐たちが集まると周辺の空気が変わるのは、どこでも言えることです
▼社務所前の古い石造りは「百度」と刻まれているので「百度石」?
▼中は箱のようにくり抜かれていました。単純な百度石ではなさそうです。
▼何かの礎石でしょうか。古い名称の屋号と名前が刻まれています。
「二文字屋 平七」何者なのでしょう? 現在は福島県に極少数「二文字屋」の苗字を持つ人がいるそうです。
▼さて、駐車した高台方面へ戻ります。神社裏にできている階段を登ります。
けっこう高低差があります。
ボードウォークのような、こういう階段は最近東京で多く見かけます。
同じ港区の愛宕山にもあったように記憶します。
ここまで上がってくれば、江戸時代には江戸湾が見えたことでしょう。
▼階段の上は「亀塚」が保存されている「亀塚公園」になっています。
公園の先の道路は「聖坂」。
高台が上下する地域は「潮見坂」「幽霊坂」「伊皿子坂」「魚籃坂」などといわくありげな名称の坂だらけとなります。
「江戸三十三観音」巡礼の時にはお邪魔している寺ですが、バックの巨大ビルは覚えがありません。
▼機能的で素っ気ないイメージの寺ですが・・
▼整えられた小さな庭もあります。
▼「最初のフランス公使宿館跡」。
1858年、安政5年に江戸幕府が欧米諸国と修好通商条約を結ぶと、現在の港区内の寺院に、各国の公使宿館が置かれ始めました。
▼初代アメリカ合衆国公使館が置かれた善福寺の記事。
▼何年か前にここにお参りして御朱印をいただきましたが、もう遠い昔の事のようのに思えます。
▼「観音堂」はしっかり鍵がかけられていました。
イラスト御朱印授与の寺社訪問で忙しく、
「昭和新撰 江戸三十三観音札所」を新たに巡る人は少ないのかもしれません。
少し寂しげな観音堂でした。