▼道野辺八幡宮の御朱印です。(千葉県鎌ケ谷市道野辺中央5-6-10)
「みちのべ はちまんぐう」と読みます。
2つの御朱印は神社印の上下が逆で、墨書きは同じ神社とは言えないような違いを見せています。
▼道野辺八幡宮の御朱印(2015年)。直書きいただいています。
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「鎌ヶ谷」から一つ先の「新鎌ヶ谷」は、従来の野田線、新京成線に、北総線(京成成田空港線)が1991年に加わったことで大きく変貌、開発されている地域です。
▼「かまがや」と聞くと駅名にもなっている「鎌ヶ谷大仏」が有名です。
道野辺八幡宮とは何の関連もありませんが、
江戸時代に当地の商人によって造立された大仏は台座を含めて高さ2.3m。
先行して名前ばかりが高くなってしまっている大仏です。
▼深く濃い鎮守の森は、住宅地として開発されてしまった千葉のこの地域では貴重な存在でしょう。
船橋と春日部を結ぶ東部野田線沿線は、まったく馴染みがありません。
▼神社前の通りとその周辺は、鎌ヶ谷駅まで徒歩5分という完全な住宅街です。
それにしても「道野辺」と言う耳障りの良い地名ですが、
中世~近世に成立した比較的古い村名で地名の由来は分かっていないそうです。
「野辺の送り」と言う言葉は誰しもが知っていて、いきなり別な意味に導かれますが、関係あるのかどうかわかりません。
▼社号標は「八幡神社」と書かれただけで、そっけないですが正式名称。
社伝では、平将門が弓矢兵馬の守護神として鎮祭したのが神社の始まりとしています。
鎮守の森は千年の森ということになりますが、やはり当初は小さな祠と数本の木だけだったのでしょう。
その森を貫くトンネルのように静かな石段が続いています。
寺社などの石段に手すりが設けられるようになったのはいつ頃からでしょうか?
ふとそんな疑問が湧いてきました。
マスコミなどで「高齢化社会」という言葉をふんだんに耳にするようになってからでしょう。
神社の創建年を思うと、とっても最近「ついさっき」という事になります。
▼気持ちの良い長い参道が続きます。
▼「ニノ鳥居」の左に駐車場があります。
▼石段ではなく車での進入路です。
▼かつてはこちらも参道になっていたのでしょうが、人がくぐり抜けるようには整備されていない鳥居です。
▼ニノ鳥居をくぐると、ようやく社殿が見えてきます。
▼「手水舎」は、「奉納 平成二十四年」の文字があります。
▼水も出て柄杓も用意されていて、当たり前ですが、この時期ホッとする手水舎です。
▼狛犬も新しいのでしょうか、現代的な匂いのする勇ましい姿をしています。
▼拝殿もガラスが嵌め込まれ、美しく新しさを感じます。
拝殿内部もとても美しく、先方に本殿が見えるこのスタイルは、こちら側は正に「拝殿」であることを意識させてくれます。
▼新しい造りの社殿の場合、横書きの扁額は左から読むものが多く見られます。
▼八幡宮ですので祭神の「誉田別尊」には多くの願いが託されます。
神社には綺麗に整備された多くの境内社があります。
▼素朴な「少彦名神社」。
▼「御食津神社(みけつじんじゃ)」は文字通り、食べ物に困らないように祈る神社。
「学」の文字が入ると「がく」か「まなび」どのように読むのか分からなくなります。
▼名も無い小さな祠にも丁寧に注連縄と紙垂が設けられています。
▼「神馬」のお住まいです。
▼リアルで色っぽく、円らな眼をした神馬は、今にも嘶きそうです。
▼対面月日は逆になりますが、那須の牧場で慰めてくれた眼と同じです。
▼「豊洲神社」は「工場守護」とあります。築地市場の「豊洲」とは関係ない!
▼道野辺八幡宮では、あちらこちらに恵比寿、大黒など多くの七福神像が見られます。
▼岩の上に小さな恵比寿、大黒です。
▼こちらはゴルードに輝く寿老人?
▼大きな岩の上を覗き込むと、黒く、踏ん反り返って満足そうな姿は布袋です。
イラスト、キラキラ御朱印だけに興味ある方には脚が向かない神社かもしれませんが、
神社境内自体もクリーンで気持ち良く、御朱印対応も丁寧、
過度な御利益の訴えもない、素晴らしい神社でした。