▼七渡弁天社の御朱印です。(富岡八幡宮境内社/東京都江東区富岡1-20-1)七渡弁天社の読みは「ななわたりべんてんしゃ」です。
▼2021年、本殿右手にある授与所の御朱印案内。
「夏詣」が1種類。このほかスタンダードな御朱印が用意されていました。
いずれも書置きですが、しっかり墨書きされていて
▼小型のクリアファイル入れて渡されました。
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▼富岡八幡宮は地下鉄東西線「門前仲町駅」からすぐの場所に鎮座します。
門前仲町は本ブログにとっては「庭」のような位置にありますので、頻繁に参拝しており、そのせいか富岡八幡宮のブログ記事も立ち寄った時点の断片的な内容がほとんどで、きちんと紹介した記事はありません。
今回も主に、御朱印をいただいた境内社「七渡弁天社」周辺の内容だけに止めます。
▼境内案内図で示すと赤線で囲った東側になる箇所です。(写真は【富岡八幡宮】)
▼「永代通り」に面した大鳥居は、2017年に焦げ茶色から朱に塗り替えられています。
参道の整備とともに鳥居が朱色に塗り替えられたことで、神社のイメージが一気に明るくなりました。
▼鳥居をくぐると右手にあるのは「大関力士碑」。
富岡八幡宮は「勧進相撲発祥の地」ともされていて、現在まで角界との繋がりが深いようです。
途中、日本一の大きさを誇る神輿が展示されている神輿庫がありますが、神社の詳細は機会を見て改めて記事にしましょう。
▼本社は一段高くなっていて石段があります。
本来は本社の参拝が先ですが、今回は後にして「七渡弁天社」に最初に向かいます。
▼石段手前、黄金の鳳凰の「手水舎」で清め、石段を上がらず東参道に入ります。参道を逆に進むことになります。
▼本社前石段を右に入るとまず「神馬」が目に入ります。
▼さらに「木遣りの碑」が並ぶ「東参道」です。
▼その東参道の外から見る入口に建つ石造りの鳥居です。
▼その東参道端の駐車場は先ごろ有料となってしまいました。
▼駐車場の奥に今回記事の対象「七渡弁天社」の鳥居が見えます。
▼案内には合祀されている「粟島神社」の文字が並んでいます。
▼七渡弁天社の御朱印は例祭日にあたる6月のみの授与だそうです。
▼途中に見える古い「庚申塚」と「針塚」。
▼「弁天池」は気持ちよく泳ぐ鯉たちの姿が見えます。
▼弁天池には二つの橋が架けられ、とてもいい雰囲気を出しています。
▼七渡弁天社の「ニノ鳥居」となるのでしょう。
祭神 は「市木嶋姫命(いちきしまひめ)」。
社伝による富岡八幡宮の創建年、1624年より以前から祀られていた地主神です。
弁天池の半島のような位置に建つ社は、小ぶりですがとても美しい造りです。
この区域まで足を踏み入れる人は少なく、いつもとても静かで、心和む場所です。
関東大震災や東京大空襲による被害も少なく、地元の人々には「地主弁天」と呼ばれ親しまれているそうです。
美と芸能、財運の神である弁天さまを祀るに似つかわしい神域です。
▼本社を参拝すると、この区域はレトロな雰囲気を持つ「婚儀殿」の建物の陰になり、初参拝の方には気づかれない事が多いでしょう。
▼弁天社と並んで稲荷社も鎮座します。
▼何本もの朱の鳥居の途中に置かれた2対の狛犬は、手前がミニ怪獣のような面相。
▼奥の1対もかなり古そうな姿をしています。
▼扁額は「永昌五社稲荷神社」。
▼稲荷社と弁天社の間は集合された境内社。
▼こちらにも狛犬が険しい顔をして参拝者を威嚇しています。
▼この六つ並んだ境内社の左端に「花本社 祭神 松尾芭蕉命」と気になる案内板。
▼しかし以前から、どれが「花本社」かわかりませんでした。
しかし六つある扁額を丁寧に見ていくと・・・
▼一番左端の「祖霊社」扁額に、小さな文字で「合祀花本社」とあります。
芭蕉は「奥の細道」に旅立つまで、深川に長く住んでいた縁から祀られたそうです。
表参道の大鳥居の横には「大関力士碑」がありましたが、
明治に造営された巨石がいくつも建つ様は、まるで「門仲のストーンヘンジ」です。
文字は思いっきり深く彫られています。
雷電爲右エ門を讃え、初代横綱から72代 稀勢の里までの力士名が刻まれています。
年配の方には懐かしい横綱名も目にできます。
▼左奥にの巨石碑は、これから横綱名を刻まれるのを待っています。
▼順序が逆になりましたが、最後に本社に戻って参拝して帰ることにします。
広い境内を持つ富岡八幡宮はまだまだ見所たくさんですが、その記事は次の機会にしましょう。
富岡八幡宮は2017年に残念で悲惨な事件を起こしています。
翌年の正月の人出は、それまでの2、3割だったのではないでしょうか。
しかし、あれから4年の2021年。
人々の記憶も薄まり、寛容する心も芽生え始めた方達の参拝が増えているように見えますし、神社側の新たな歩みも始められているそうです。
それでも、まだ往年の参拝者の数に届かないかもしれません。
早く地域の人たちはもとより、東京、全国の人々に崇敬される神社に戻ることを願わずにいられません。