(真言宗豊山派/千葉県市原市惣社4-10-12)右上の印は「聖武皇帝勅願所」、左上は「坂東武蔵」、
中央は言わずと知れた「菊の御紋」。
国分寺は建立された性格上、ほとんど、いや全て本尊は「薬師如来」でしょう。
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▼741年、全国に「国分寺」の建立を命じたのはこの方です。(▼写真は【wiki】)
奈良時代の「聖武天皇」ですが、彼はとんでもない計画も詔として出しています。
741年の国分寺建立詔に続き、743年の「盧舎那仏」と総国分寺としての「東大寺」の造立でした。
国の平和と繁栄を祈るための造立でしたが、
各国の「国分寺」の建造立もままならない中、さらに「東大寺」の造立ですから、その費用、労力、時間は計り知れません。
(▼写真は【wiki】)
それでも、あえてその命を出さずにいられない天平年間の災いがあったのでしょう。
天平年間、全国に災害や疫病(天然痘・疱瘡)が多発しています。
まさに奈良時代のコロナ禍です。
(▼写真は【wiki】
災いは祟りとも解釈され、それらから逃れようと、平城京から恭仁京、難波京、紫香楽京へと遷都を繰り返します。
しかし、その間も火災や大地震の災いから逃れることはできず、再び平城京に戻っています。
あまり幸いだったとは言えないような天皇の迷走、迷宮の時代でした。
いずれにしても、科学・医学が無かったに等しい時代には疫病に対しては
「薬師如来」を代表する神仏にすがる他に選択肢はなかったのでしょう。
現代では、そのおかげで東大寺や国分寺を知り、ワタシたちは、その御朱印もいただける結果となっているとも言えます。
▼「仁王門」の金剛力士像は南北朝時代と江戸時代にの建立だそうです。
▼仁王門をくぐると正面に「薬師堂」です。
旧国分寺の存在は14〜15世紀頃までは確認されていてその後荒廃、江戸時代に入ってから再興され、薬師堂も1716年の建立と言われています。
茅葺きの孤高の姿はどこかで見た覚えがありますが、思い出せません。
▼「本堂」の建立はまだ新しそうです。
▼庫裏の「柴犬」は真言宗とは関係ありません。あたりまえ!
蚊に刺されないように蚊取り線香が焚かれていました。
ん〜〜〜ん、少し大眼子眼でカワイイ顔してる。
まったく吠えずに尾っぽを振ってくれました。
人間以外の小さい動物には大概嫌われません。
国分寺のすぐ近くに同じ時期に造立された「上総国分尼寺跡」があります。
そちらは中門が創建当時の工法で再現されているそうです。
▼また同じ敷地内にある「展示館」では創建当時ジオラマもあるそうです。
(▼写真は【東京湾観光情報局】)
カワイイ柴犬が元気なうちの参拝ください。