▼駒留八幡神社の御朱印です。(東京都世田谷区上馬5-35-3)
▼御朱印はコロナ禍の中でも授与所で丁寧な対応で直書きいただきました。
2020年春以降にいただいた多くの寺社の御朱印は書置きばかり。
直書きいただけると、本当に「ありがたい!」と頭を深く下げる結果になります。
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▼駒留八幡神社(こまどめはちまんじんじゃ)は世田谷区「上馬」に鎮座。
地名の「上馬」、社名の「駒留」、どちらも「馬」に関わる名称です。
▼駐車場の案内はありませんが、交通量の多い「環七通り」の「駒留陸橋」の側道に神社入口を見つけました。
車で進入する通路は写真の見た目より勇気のいる狭さです。
案内看板がないので不安は尚更ですが、ここを曲がり進入すれば広い境内のスペースにに駐車できます。
出入り口は「環七通り」の陸橋側道になっているので交通量の少ないのが救いです。
▼境内に駐車して改めて神社正面に向かいます。
▼一ノ鳥居は朱色ではなく、鈍いブラウン、ダークなベージュという微妙な色です。
▼一ノ鳥居の右手には大きな石碑が立ちますが、詳細不明です。
神社の鎮座地「上馬」の地名由来は、
旧荏原郡上馬引沢村(かみまひきさわむら)の省略で、
源頼朝が遠征に向かう途中この地を訪れ、土砂崩れに遭った際、
「以後ここを渡る際は、馬を曳いて渡れ」と命じたのが由来ともされています。
▼「上馬の駒留八幡神社」として「せたがや百景」にも選ばれている神社風景です。
神社の創建は詳らかでないようですが、
鎌倉時代の1308年にこの地の領主が八幡宮を召致した事に始まるそうです。
神社の祀り場所の選定に迷っていたところ、
夢に八幡神が現れ「私を祀るところは愛馬に聞け」と言ったとかで、
領主 太郎入道は夢告に従って愛馬に乗り、その立ち止まったところを社地と定めたと伝わります。
「駒留」という社名になった謂れです。
2021年、訪問時は祭りの打ち合わせでしょうか、氏子らしき若者が多く社務所に参集していました。
▼手水舎の向こう、神輿庫で何かを確認し合っています。
ちょうど集会が終わったばかりだったようで、多くの若者たちが社務所から出てきました。
拝殿の造営年は分かりませんが、長い時を刻んだ風格が現れています。
▼拝殿から背後の小高い位置につながっている本殿までは、登り窯のような姿です。
本殿の下の小山は当地の領主が経筒を埋蔵した塚と伝わっています。
▼いい味を出している神楽殿も古い造りでしょう。
▼境内左手に別な石造りの鳥居があり、その先に境内社がまとまっています。
▼江戸時代まで別当寺を務めていた宗円寺の「開基碑 」も立ちます。
▼朱色の鳥居先は「駒留稲荷神社」。
▼右は「戦没者慰霊殿」。
▼左は「厳島神社」。
世田谷城主の吉良頼康の側室 常盤を弁財天として祀られています。
▼水は満たされていませんでしたが、池になっていて、厳島を模したイメージなのでしょう。
▼ほかにも小さな境内社がいくつも並んでいます。
▼「戦没者慰霊殿」の隣に、日清戦役や満州事変での当地出身戦没者を慰霊する「表忠碑」が建ちます。
▼唯一神域の濃さを感じられた、境内社が並ぶ奥から拝殿方向の眺めです。
駒留八幡神社は派手な神社ではない地域の鎮守ですが、
その歴史や伝承を少し事前に調べて訪れると感慨深い参拝となるかもしれません。