北星神社の御朱印
「ほくせい じんじゃ」主祭神:天之御中主大神(千葉県我孫子市台田4-11-27)
▼北星神社の御朱印です。
紺色の印「九曜紋」は星が五つで妙見信仰の象徴。
現在、一般的には星は★で表現しますが、昔は星を●で表していました。
中央の印の「神璽(しんじ)」は「天子の印」というような意味で、「三種の神器」の総称としても表されるそうです。
御璽、国璽という言葉もあり「璽」は「しるし」を表す語ですが、普段は使わない文字なので読めても、書けませんね。
左下は「宮司之印」。
▼御朱印は「柴崎神社」でいただきました。
本務社の「柴崎神社」からは西へ4km以上離れています。
鎮座地住所は我孫子市ですが、西のはずれで、境内の端が柏市との境界線を作っています。
▼神社境内は国道6号戦「水戸街道」沿いに玉垣を見せています。
▼正面に回ります。注連柱の右には「伊勢太々紀念」の文字が刻まれています。
本務社の柴崎神社入り口にも「伊勢太々講紀念」の文字が見られました。
▼それにしてもカッコよく響きの良い「ほくせいじんじゃ」です。
少し長くなりますが、境内の由緒書きから引用。
北星神社は明治9年に改称されるまでは「妙見宮」と呼ばれ親しまれてきた。
中世に相馬氏が所領していた時代の創建で、祭神に天御中主命を奉祀、本尊妙見菩薩。相馬・千葉氏に関わる城館には必ず妙見菩薩を祀る宮があったとされている。
しかし、伝承ではここから北西に根切の田があり、そこから出土した妙見様が花戸原の妙見塚を経て現在地に祀られたという。
社殿がつくり替えられたが、旧社殿の造営は棟札に社殿基壇部に、天保4年(1833)と記され、棟札には再建とあるので、それ以前から宮があったのは確かである。
明治41年に本県知事の許可を経て無格社六社を合祀しています。
▼胸を張ってスクッーと構える現代的な容姿の狛犬。比較的新しいものなのでしょう。
▼社殿は昭和の再建で、他の建物も同時期に整備されたのでしょう。
ですので、古さを感じさせる建物はありません。手水舎も新し目です。
▼普段は無人の神社ですが、水盤には水が流れ溢れていました。
新しく見える建物はどれもガッシリとして頑丈そうで立派。
▼拝殿の扉には「九曜紋」が輝いています。
▼そして拝殿前に狛亀です。
妙見信仰の北の守神の玄武と見ても良いのでしょう。
しかし、何処かで見た顔? パペットマペットじゃないし・・。
天にあって位置の変わらない北極星、北斗七星を「妙見」として崇めてきた古来の人々の思いや祈りは、現代人の理解では十分ではないかもしれません。
でも、流れ星でなくとも「星に願いを・・」という言葉は現代人でも使います。
▼本殿ももちろんコンクリート製ですが、重量感と厚みを感じさせます。
▼境内左奥は神々のマンションです。香取神社、八坂神社、第陸天社などが鎮座。
▼この末社前にも少し淡く苔むした狛犬が睨みを利かしています。
▼阿吽とも歯をむき出し、なかなかの形相です。
▼参道途中右手にも一対の神亀がいます。浪が刻まれた台座に乗っています。
正面の石柱碑は判読不能。「●神霊建設記念」かもしれません。
▼左の亀の台座には「子亀」がよじ登ろうとしています。
谷底に落とされた子獅子と同様の表現かもしれません。
この亀は天保年間の造立で日本で最も古い狛亀とされています。
▼200年近い年月に亀たちは何を見てきたのでしょう?
同じ時間の風雨が亀たちの表情を消そうとしていますが「亀は万年」の先まで残したいものです。
▼並ぶ古木は背低くに剪定されているものの、力強く新たな枝を伸ばしています。
▼その後方にたくさんの石碑が並びます。
「大山阿夫利神社」は勧請されたものか、参拝記念か?不明。
▼「山神宮」や「山神社」の名称が目立ちます。
▼「青面金剛」の庚申塔もいくつも見られ、かつての地域の人々の信仰の篤さをものがたっています。
いつか北の空に輝く星に召される新旧の亀たちに守られている静かな神社でした。